浄土真宗の誤りを破す

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既成仏教 浄土真宗

【浄土教の歴史】
浄土教とは、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』に拠(よ)るもので、阿弥陀仏の本願に基づき、観仏や念仏によって、穢土(えど=汚れた世)である娑婆世界(しゃばせかい)を去って、阿弥陀仏の極楽浄土(ごくらくじょうど)に往生(おうじょう)することを説く宗旨です。
最初に浄土思想を唱えたのは、インドの竜樹(りゅうじゅ)や世親(せしん)で、竜樹は『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』を、世親は『往生論』を著しました。その後、中国においては曇鸞(どんらん)が『往生論註』を著して浄土宗を創始し、その流れを汲(く)む道綽(どうしゃく)と、その弟子の善導(ぜんどう)によって浄土念仏の思想が大成しました。
日本の浄土教は、平安時代中期の空也(くうや)や恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)によって弘まりました。源信は『往生要集』を著して念仏を勧め、これによって当時の貴族は競って阿弥陀堂を立てて阿弥陀仏を安置し、そこに現世の極楽世界を求めました。また平安末期になると良忍(りょうにん)が登場し、融通(ゆうづう)念仏宗を開きました。
そして、鎌倉時代の初頭に登場したのが、日本浄土宗の開祖・法然(ほうねん)で、浄土真宗の開祖・親鸞(しんらん)は、その法然の弟子です。

【開祖】親鸞(1173~1262年)
【本尊】阿弥陀如来(立像の絵像・木像本尊、
    六字・九字・十字の名号本尊)
【経典】『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』
【本山】本願寺(京都市下京区)

宗派の沿革

親鸞(しんらん)は、承安3年(1173年)、藤原氏の一族の子として生まれ、9歳で出家して比叡山(ひえいざん)で修行しましたが、建仁元年(1201年)に比叡山を下山し、京都東山にいた浄土宗の開祖・法然の門弟となり、専修念仏に帰依(きえ)しました。
承元元年(1207年)、親鸞が35歳の時に師の法然が四国に流されたことにともない、親鸞は越後国(新潟県)に流されました。この時に親鸞は還俗(げんぞく=僧職をやめて世俗に戻ること)し、以後は非僧非俗の立場をとって流罪地で結婚し、四男三女の子をもうけています。
そして元仁元年(1224年)、親鸞は『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』(顕浄土真実教行証文類)を著しました。親鸞は法然を開祖としていますので、特に浄土真宗の立宗(りっしゅう)宣言はしていません。浄土真宗という名称の使用は明治5年からのことで、『教行信証』著作の年を「立教の年」と定めたのも、大正10年頃のことです。
弘長2年(1262年)の親鸞没後、本願寺8代・蓮如(れんにょ)の時、浄土真宗は全国に広まり、大教団となりました。
慶長7年(1602年)、第12代・教如は徳川家康より本願寺の東に寺有地を受け、東本願寺(現在の真宗大谷派)を創しました。これをきっかけとして本願寺は東西に別れ、元の本願寺を西本願寺(現在の本願寺派)と呼びました。

教義の概要

浄土真宗の本尊は、浄土宗と同じく阿弥陀仏(あみだぶつ)です。
ただし浄土宗が弥陀三尊(みださんぞん。浄土宗の項参照)を祀(まつ)る対し、浄土真宗では阿弥陀如来の一仏立像を本尊とします。
依経(えきょう=依りどころの経典)も浄土宗と同じく『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経ですが、親鸞はこの三経に勝劣を立て、『無量寿経』を真実の教えとし、他の二経を方便の小経としました。
教義は浄土宗と同じく、この世は苦悩に満ちた穢土(えど=汚れた世)であり、専(もっぱ)ら念仏を唱えること(専修念仏)によって、阿弥陀仏の本願力に叶(かな)い、この穢土を離れて西方十万億土(さいほうじゅうまんのくど)に極楽往生できるという、「他力本願」の教えを説いています(世間でも使う「他力本願」という用語は、これのことです)。
ただし親鸞は、師である法然の教えからさらに一歩踏み込んでいます。法然の教説では、念仏を自分の意志で唱えるという自力の部分がありますが、親鸞は「絶対他力」を説き、念仏を唱えることすら阿弥陀仏の本願力によるものであるとして、一切の自力を捨てることを旨(むね)とし、ただ信の一念を起こすことが大事であるとしています。
以下、浄土真宗の教義の体系は、法然の浄土宗と同じです。

■難行道と易行道

浄土教では、仏教全体を「難行道(なんぎょうどう)」と「易行道(いぎょうどう」の2つに分けます。
中国浄土宗の祖・曇鸞(どんらん)によれば、「難行道」とは浄土三部経以外の経典に説かれる修行(自力)をいい、この自力・難行道では悟りは開けないとしています。そして「易行道」とは浄土三部経に説かれる念仏の修行であり、阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の力(他力)によってのみ極楽往生できるとしています。

■聖道門と浄土門

同じく中国浄土宗の道綽(どうしゃく)は、仏教全体を「聖道門(しょうどうもん)」と「浄土門」の二門(門は教えのこと)に分けました。
道綽の説は、「聖道門」とは自力教で難行道であり、浄土三部経以外の法華経等による修行でこの世で悟りを開くことを目指すもので、「未有一人得者(未だ一人も得る者は有らず)」としてこれを排斥(はいせき)しました。
そして「浄土門」は他力教で易行道であり、阿弥陀仏の本願を信じて念仏を修行するもので、これこそ凡夫(ぼんぷ=凡人)の機根(きこん)に適した教えである、というものです。

■正行と雑行

さらに道綽の弟子の善導は、仏道修行を「正行(しょうぎょう)」と「雑行(ぞうぎょう)」に分けました。
「正行」とは阿弥陀仏に対する五種の行で、「雑行」とは浄土三部経以外の教えによる修行で、それらは雑多で無益(むやく)な修行であるとし、この雑行を修行する者を「千中無一(千人に一人も往生できない)」としました。

■捨閉閣抛

こうした流れを受けて、日本浄土宗の開祖・法然は、浄土宗を「易行道・浄土門・正行」とし、他宗を「難行道・聖道門・雑行」と称しました。
中国の曇鸞や道綽等は、「成仏するのに、生まれ変わり死に変わり、非常に時間のかかり、大変な修行を積まなければならない聖道門では無理なので、浄土門にすべき」ということを唱えました。
しかし法然はそれをさらに極端にし、法華経を強く褒(ほ)めた上で「機根の低い末法の衆生には理解できないから修行すべきではない」として、『選択集(せんちゃくしゅう)』のなかで「捨閉閣抛(しゃへいかくほう=捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)て」と説き、浄土三部経以外の一切経を排斥(はいせき)したのです。

邪宗教である理由

■無責任極まる親鸞

親鸞の門弟であった唯円の著述に『歎異抄(たんにしょう)』というものがあります。これは唯円が直接、親鸞から聞いた言葉を書き記したもので、そこには親鸞の言葉として、
「念仏はまことに浄土に生るゝたね(種)にてやはんべるらん、また地獄に堕(お)つる業(ごう)にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり。たとひ法然聖人に賺(すか)されまゐ(い)らせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」
などと書かれています。
すなわち、「念仏が浄土に生まれる種であるのか、あるいは地獄に堕ちる業なのか、自分には分からない。もし法然にだまされて地獄に堕ちたとしても、後悔はしない」ということです。
浄土真宗の開祖という立場でありながら、「念仏で浄土に行けるのかどうか知らない」というのですから、何とも無責任極まりないことです。このような者に引きずられて、いっしょに地獄に堕ちる信者こそ哀れです。

■浄土三部経は方便の教え

この第3章の総論で、『法華経』が釈尊の本意であり、これこそが真実の教えであることを、経文にしたがって述べました。
すなわち、法華経の序分にあたる開経の『無量義経』には、
「四十余年には未(いま)だ真実を顕(あらわ)さず」
と説かれ、これまで42年間にわたって説かれた膨大な経典は、真実を説いたものではないと斬り捨てました。また『法華経』の方便品(ほうべんぽん)には、
「唯(ただ)一乗の法のみ有り 二無く亦(また)三無し」
「正直に方便を捨てて 但(ただ)無上道(むじょうどう=最高の教え)を説く」

と説かれ、さらに『法華経』の法師品(ほっしほん)には、
「我が所説の諸経 而(しか)も此(こ)の経の中に於いて 法華最も第一なり」
と説かれ、法華経こそが真実の教えであると宣言されているのです。
浄土宗が依(よ)るところの『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』は、この42年間に説かれた方便の教えであり、真実ではありません。
しかも、善導は「千中無一」といい、法然にいたっては「捨閉閣抛」として、唯一真実の教えである法華経を誹謗(ひぼう)しており、これは釈尊の本意に背(そむ)くものです。したがってこの念仏を信仰することは、無間(むけん)地獄の大悪業となるのです。『法華経』には、
「この経を信ぜずに毀謗(きぼう)すれば、一切世間の仏種(ぶっしゅ)を断じ阿鼻地獄(あびじごく)に入る」
と説かれています。法華経を誹謗することは重罪中の重罪なのです。

■阿弥陀仏の本願にも背く

浄土宗が依(よ)るところの『無量寿経』に説かれる、阿弥陀仏の「四十八願」の第十八願には、
「もしわれ仏をえたらむに、十方の衆生至心に信楽(しんぎょう)して我が国に生ぜむと欲して、乃至(ないし)十念せむに、若(も)し生ぜずば正覚(しょうかく)をとらじ。唯(ただ)五逆と誹謗正法(ひぼうしょうぼう)とを除く
と説かれています。
つまり阿弥陀仏自身が、「正法である『法華経』を謗(そし)る者は救えない」と断言しているのです。したがって念仏宗の教えは、自分たちの経典にすら背いているのであり、往生は不可能と知るべきです。

■架空の仏を拝む無意味

阿弥陀仏という仏は、釈尊が説かれた経典の中に登場する「架空の仏」です。
現実の娑婆世界(しゃばせかい)に出現して、すべての人々を救っていく「真実の仏」である釈尊に背き、有りもしない極楽浄土に住むという架空の仏を拝んでも無意味です。
無意味だけならまだしも、それは「正しい教えである法華経を謗る」ことになるのですから、とんでもない謗法(ほうぼう=誹謗正法。すなわち法華経を謗ること)になってしまうのです。

■厭世思想と現実逃避

浄土宗では、「念仏を唱えれば、阿弥陀仏の本願力によって臨終の後、西方極楽浄土に往生できる」と説いています。
しかしこのような教えは、私たちが生きている現実世界を穢土(えど)といって嫌う厭世(えんせい)思想や、今世では決して成仏できないというあきらめや現実逃避の思想を生み出す元となります。またこれは、浄土宗の教えが、現実にさまざまな苦悩にあえぐ人々を「救う力がない」ことの裏返しです。だから今生を捨てるのです。
真実の仏法は、後生の成仏はもちろんのこと、今生きている現実世界で苦悩から人々を救い、凡夫そのままに即身成仏の大利益を授けるものです。それを最初から捨てている浄土宗の教えは、真実の仏法ではありません。

■難行道と易行道について

インドの竜樹(りゅうじゅ)菩薩は、『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』において「難行道」と「易行道」を説きましたが、これは法華経以前の経教(きょうぎょう)を難易の二道に分けたもので、法華経は含まれませんでした。
ところが浄土宗は、竜樹の真意をねじ曲げ、法華経まで難行道に分類し、末法の人々の機根に適(かな)わない教えであると捨ててしまったのです。これは、浄土教の先達(せんだつ)である竜樹の教えをも裏切った行為と言えるでしょう。

■善導の臨終の相

仏法では、その人の死後の成仏・不成仏は「臨終(りんじゅう)の相に顕(あらわ)れる」と説いています。
臨終の際に、悶絶(もんぜつ)して苦しみもがいて死んだり、遺体がどす黒く変色したり、遺体が硬く硬直したり、あるいは腐敗して悪臭を放つなどは、すべて堕地獄の相であると説かれているのです。
中国念仏宗の善導は、極楽浄土がとても恋しく、「死んだら必ず浄土に行けるというが、自分は生きているうちに行きたい」と念願し、柳の木に登って飛び降りたものの死ぬことができず、腰の骨を強打して七日七夜も悶絶して、狂乱して苦しみ抜いたあげくに死にました。
これは、経文に説かれる堕地獄の相そのままです。念仏宗の偉い坊さんですらこの有り様なのですから、それに従う信者も推(お)して知るべしであります。

以上、浄土真宗について、その邪たる所以を述べました。念仏は、真実の仏法とはかけ離れた邪宗に他なりません。『涅槃経(ねはんぎょう)』には、
「邪宗の僧侶や幹部は、いかにも聖人君子のごとき人格者を装い、わずかばかりの経典を読んだりしていても、常に内心は信者から布施や寄付をしぼり取り、自分の身を長く養うことばかり考えている。袈裟(けさ)を着ているといっても、それはまるで、猟師が狙った獲物を細目でにらみながら忍び寄っていくごとく、また猫がねずみに跳びかかろうと身構えているごとく、少しでも多額の布施・寄付を搾取(さくしゅ)しようと、信者を狙っているのである」
という趣旨の経文があります。浄土真宗も当然、これに該当します。
皆さま方におかれましては、間違ってもこのような邪法邪師の邪義に惑わされることなきよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。

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