顕本法華宗の誤りを破す

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既成仏教 顕本法華宗

【派祖】日什
【本尊】曼荼羅
【教典】妙法蓮華経開結十巻・日蓮遺文
    日什諷誦章および置文
【本山】妙満寺

宗派の沿革

顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)は、日蓮大聖人滅後100年頃に、玄妙日什(げんみょうにちじゅう)が開いた一派で、日蓮大聖人を宗祖とし、日什を派祖としています。
日什は19歳で比叡山に登って出家し、以後、天台教学を学び、38歳の時には学頭にまでなりました。しかし玄妙が66歳の時、日蓮大聖人が著された『開目抄』『観心本尊抄』を初めて読んで感銘を受け、天台教学を「過時の教え(像法時代のものであること)」として捨て、日蓮門下に改衣することを決意したと伝えられています。
同年、富士門流(現在の日蓮正宗)に帰伏(きぶく)して名を日什と改めたものの、翌年には異見を生じて離脱。その後は真間・中山門流に改衣しましたが、最終的には「真間帰伏状」を破棄して独立しました。
そして日什は、『日什門徒等可存知事』の中で、
「大聖の御門弟六門跡(註;六老僧のこと)、並に天目等の門流、皆(みな)方軌(ほうき)弘法(ぐほう)共に大聖の化儀(けぎ)に背く処(ところ)有るに依って同心せざる処也。直に日什は仰せを日蓮大聖人に帰する処也」
として、大聖人以来の法脈をすべて否定し、大聖人から直(ただ)ちに法水(ほっすい)をくみ、御書を師とする、「直授日蓮(じきじゅにちれん)」「経巻相承(きょうがんそうじょう)」を主張しました。
日什の没後、強義折伏(ごうぎしゃくぶく)によって徳川家康から弾圧を受け(慶長法難)、窮地(きゅうち)に立たされた教団は、幕府の弾圧から逃れるために強義折伏を捨てました。それ以後、日什門流は幕藩体制に迎合しながら教勢の拡大をはかり、本山妙満寺を中心に発展していきました。
明治9年、日什門流は「日蓮宗妙満寺派」と称し、明治31年には「顕本法華宗」と改称しました。その後、昭和16年の宗教団体法によって、しばらくは身延日蓮宗の傘下にありましたが、昭和22年には独立して「顕本法華宗」と公称し、現在に至っています。

教義の概要

顕本法華宗では、久遠実成の釈尊を教主とし、日蓮大聖人を宗祖、日什を開祖と立て、日什以外の弟子や法脈をすべて「邪師邪流」と否定する、「直授日蓮(じきじゅにちれん)」「経巻相承(きょうがんそうじょう)」を宗是としています。
本尊は、建前としては「日蓮大聖人の曼陀羅」としています。

邪宗教である理由

■「経巻相承」の邪義

日什が主張する「経巻相承」とは、「大聖人の仏法を直接に教授してくれる師(血脈伝授の人)が無くとも、法華経や御書を読み、そのまま実践することで、誰もが同じ功徳(くどく)を得ることができる」というものです。
しかしこれは、仏法相伝の大事な規範である「師資相承」と、それにともなう歴史的事実をすべて否定し、何の根拠もない勝手な相承や教義を立てて、これを正当化しようとするものです。
まず顕本法華宗は、日蓮大聖人の『守護国家論』の、
「経巻を以て善知識と為すなり」
との御文を、経巻相承の根拠であると主張しています。しかしこの御文は、釈尊の教説を無視して法華経を誹謗する浄土宗・法然を、「依法不依人(えほうふえにん=法によって人によらざれ)」の理によって破折(はしゃく)されたものであり、相承に関する御指南ではありません。また顕本法華宗は、大聖人の『顕仏未来記』の、
「三国四師(釈尊→天台→伝教→日蓮)」
についても経巻相承の根拠としていますが、これは、歴史的な外用(げゆう)相承の流れを示されたものに過ぎません。実際、釈尊は迦葉に、天台は章安に、伝教は義真に、そして宗祖は日興上人に御相承あそばされたのです。これが「師資相承」であり、顕本法華宗の主張は的はずれな戯論(けろん)です。
日蓮大聖人は、
「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山(りょうじゅせん)にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」(南条殿御返事)
「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決(ぐけつ)せし相承なり」(三大秘法禀承事)
と、面授口決の内証相承を明かされ、仏法本来の相伝の姿を示されています。そして日蓮大聖人はさらに、
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(一代聖教(しょうぎょう)大意)
「伝持の人無ければ猶(なお)木石の衣鉢(えはつ)を帯持せるが如し」(顕仏未来記)
と御教示であり、師弟相対の相伝によってはじめて法華経の深義を伝えることができ、もしこれがなければ仏法を忘失(ぼうしつ)することになると仰せなのです。
すなわち、顕本法華宗の根幹である「経巻相承」とは、相承の本義を知らない日什が、自己の浅識にまかせ、御書を曲解(きょくげ)して、自門を正当化するために創作した邪説に過ぎないのです。

■本尊雑乱

顕本法華宗は、一応の建前としては日蓮大聖人の曼荼羅を本尊と定めています。
しかし日什の死後、顕本法華宗は、薬師如来、鬼子母神、七面、稲荷その他、雑多なものを祀(まつ)ってきました。これが、大聖人の仏法を正しく相伝する血脈(けちみゃく)相承を否定し、「経巻相承」という邪義によって謗法(ほうぼう)を招いた教団の実体なのです。
明治23年に顕本法華宗の教務部長に就任した日生(後に管長となる)は、この実体を見かねて「雑乱(ぞうらん)本尊を一掃して三宝本尊に統一」するように宗内に呼びかけました。
ところがこれが宗内の反発を買い、2年後には宗門から擯斥(ひんせき=追放)処分を受けてしまいました。そして2年後に僧籍に復帰したところ前言を翻(ひるがえ)し、「釈迦・題目・四菩薩の三宝義が掌握できれば、文字でも木像でも是認して良い」などと述べたのです。このように、顕本法華宗の本尊雑乱の悪弊(あくへい)は、実に根深いものがあります。
すなわち、曼荼羅本尊を立てているというのは建前だけであって、実態は抜き差し難い本尊雑乱なのです。宗旨の根本である本尊がこの有り様では、日蓮大聖人を敬う振りをして、実には師敵対であり、大謗法であります。

■大聖人を悪(あ)しく敬う

顕本法華宗では、日什が天台宗から日蓮門流に改衣(かいえ)したことについて、
「末法の人々にとって天台の教観はあまりに難しい。日蓮聖人の教えこそ天台・伝教の精神を末法に活かすもの、迷える衆生を救う大白法(だいびゃくほう)と思う」(日本仏教基礎講座)
などと言っています。つまり彼らは天台宗を「過時の教え」としながら、日蓮大聖人の仏法は、天台・伝教の教義を平易化した、余流でしかないとしているのです。
しかし日蓮大聖人は『撰時抄』に、
「天台未弘(みぐ)の大法」
と仰せなのであります。日蓮大聖人の仏法(大白法)を、像法時代の天台・伝教の流れとしか思っていないなど、これはまさに「摧尊入卑(さいそんにゅうひ=尊きをくだいて卑しきに入れる)」であり、大聖人の仏法の深義に暗い、師敵対の邪義であります。

以上、顕本法華宗について、その邪たる所以を述べました。顕本法華宗は、日蓮大聖人を敬うような振りをしていても、その実態は大聖人様の教えとは似ても似つかぬ、大謗法の邪宗教でしかありません。
『涅槃経(ねはんぎょう)』には、
「邪宗の僧侶や幹部は、いかにも聖人君子のごとき人格者を装い、わずかばかりの経典を読んだりしていても、常に内心は信者から布施や寄付をしぼり取り、自分の身を長く養うことばかり考えている。袈裟(けさ)を着ているといっても、それはまるで、猟師が狙った獲物を細目でにらみながら忍び寄っていくごとく、また猫がねずみに跳びかかろうと身構えているごとく、少しでも多額の布施・寄付を搾取(さくしゅ)しようと、信者を狙っているのである」
という趣旨の経文があります。皆さま方におかれましては、間違ってもこのような邪法邪師の邪義に惑わされることなきよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。

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