真如苑の誤りを破す

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新興宗教 真如苑

【創立】昭和11年2月
【創始者】伊藤真乗・友司夫妻
【現継承者】伊藤真聡(真乗の三女)
【信仰の対象】教主が彫刻した久遠常住釈迦牟尼如来
【教典】『大般涅槃経』

教団の沿革

真如苑(しんにょえん)は、伊藤真乗(しんじょう)・友司(ともじ)夫妻が「誰でも霊能者になれる」と主張して設立した、真言宗系の在家教団です。

■易鑑定からのスタート

伊藤文明(真乗の本名)は明治39年に生まれましたが、彼の生家には「甲陽流病筮抄(こうようりゅうびょうぜいしょう)」という易書が伝えられており、小学校に通う頃から父にこれを教え込まれました。
文明は23歳の時、「大日本易占同志会」に研究生として入会しました。そして昭和7年、27歳の時に又従兄弟(またいとこ)にあたる内田友司と結婚し、このころから易による鑑定や人生相談などを始めました。
昭和10年から11年にかけて、文明は成田山新勝寺と関係を結び、自宅にその講中(信徒組織)として「立照閣」を設立し、本尊を「大日大聖不動明王」と定めました。またこのころ妻の友司は一ヶ月の寒行を行い、その満願(まんがん)の日に神がかりとなり、霊能者になったのだそうです。
昭和11年2月、伊藤文明・友司夫妻は宗教一筋の生活に入ることを決意しました(真如苑では、この日を立教の日としています)。ところが同じ年の6月、3歳の長男・智文が風邪をこじらせて急死してしまいました。これは設立間もない教団にとっては大事件であり、この解決のために夫妻は高尾山にこもって荒行を行い、「長男の死は、他人の苦の身代わりになった(抜苦代受)」と勝手な結論を導き出しました。

■「まこと教団」から「真如苑」へ

昭和13年、伊藤文明は現総本部の地に「真澄寺(しんちょうじ)」を建立し、真言宗醍醐派の「立川不動尊教会」を設立しました。そして同じころ、文明は京都にある真言宗醍醐派の総本山・醍醐寺三宝院で出家得度し、昭和16年には「大阿闍梨(だいあじゃり)」の位を得て、名前を文明から真乗に改めました。
そして昭和23年、伊藤真乗は大衆教化(たいしゅうきょうけ)を目的として「まこと教団」を設立しました。ところがその2年後、教団は元教団幹部から「教団内の修行場でリンチが行われている」と告訴され、真乗は検挙・起訴されました。これがいわゆる「まこと教団事件」です。この事件で、真乗は執行猶予付きの有罪判決を受けました。
そして教団は、この事件によるイメージダウンを回避するため、昭和26年6月に教団名をまこと教団から「真如苑」に改称し、真乗が教主に、友司が苑主に就任しました。

■その後の展開

昭和27年7月、15歳の次男・友一が、カリエスで闘病の末に死亡しました。
このころから教団は、所依(しょえ)の教典を真言密教(しんごんみっきょう)経典から『大般涅槃経』に転換しました。そして昭和32年には、真乗が自らの手で身長約5メートルの涅槃像(寝釈迦像)を彫刻し、これを本尊としました。
そして昭和42年8月、妻の友司が急死。昭和44年には真乗の再婚問題をめぐって伊藤家内に利権争いが生じ、三女・真砂子が自殺未遂事件を起こし、結果として長女と次女が教団を離脱しました。
昭和58年、三女・真砂子が真聡と改名し、平成元年の真乗の死後、真聡が苑主となり、四女・真玲がそれを補佐する体勢で、現在に至っています。

教義の概要

■いろいろな本尊

教団では、昭和32年に真乗が刻んだという「久遠常住釈迦牟尼如来(寝釈迦像)」を本尊としています。しかしこれは立川総本部内にある発祥第一精舎(ほっしょうだいいちしょうじゃ=道場)に祀(まつ)られていて、同本部内の真澄寺には「涅槃法身不動明王」と教団創立時の「大日大聖不動明王」を安置し、さらに発祥第二精舎には「十一面観世音菩薩」を祀っています。
教団ではこれらの立てわけについて、
(1)釈迦如来・・・真理身としての自性輪身
(2)観世音菩薩・・真理身は法を説かないので、正法輪身として教えを説く
(3)不動明王・・・教えを守らない者に強制的に守らせる教令輪身
というように定義し、これらの仏像等の建立によって「衆生の化導法(けどうほう)が整った(=三輪身満足)」などと言っています。
さらには「不動明王は真言密教(東密)の流れをくみ、十一面観音は天台密教(台密)と縁が深く、そこに涅槃経に即した涅槃像を祀ることにより、東密・台密・真如密の日本三密が成就した」ということも言っています。

■教義と実践

真如苑は、釈尊(お釈迦様)最後の説法である『大般涅槃経』を根本の経典とし、この経典に説かれる「一切衆生・悉有仏性(いっさいしゅじょう・しつうぶっしょう)」の経文によって、誰もが仏性を有し霊能を具(そな)えていると定義し、その霊能を開発し霊位を向上させることによって「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の歓喜の境涯(きょうがい)を顕(あらわ)すことができるとしています。
そのため教団では「三つの歩み」を信者に義務づけています。
(1)「お救(たす)け」・・・布教・勧誘活動
(2)「歓喜」・・・金銭の寄付
(3)「奉仕」・・・教団のさまざまな活動に労力を提供
これらを行うことによって、自身の持つ「悪因縁(あくいんねん)」を断ち切ることができるなどと教えています。
さらに、この三つの歩みを行う基盤となるのが、霊能者の指導により菩提心(ぼだいしん)の向上を目指す「接心」と呼ばれる修行です。
ちなみに真如苑でいうところの「霊能」「霊能者」というのは、世間一般や他の新興宗教・神道の概念とは少し違い、この教団では「霊能」について、
「接心修行を中心にして、そこに顕現される涅槃の正法に即した神通変化を示す力」
「人々の仏性をおおっている三毒の妄炎を吹き消して涅槃を示す智」

などと定義し、さらに「霊能者」については、
「迷いの中に生きる人々を、真如の教えを通して常楽我浄の世界に導く道標者」
などと意味不明の定義しています。
さて「接心」とは、信者が、教祖の長男・次男の霊と感応した霊能者と対座して、霊能者が話す霊言(ミディアム鏡)を聞き、問題を解決したり心を浄(きよ)めたり、霊能を開発するというものです。教祖の長男(智文=教導院)と次男(友一=真導院)は若年で死去しましたが、教団では「これは信徒の苦悩を代わりに受けて(抜苦代受)早くこの世を去ったのだ」と教えていて、信徒の病気が治ったり苦難から救済されるのはこの二人の働きによるとして、「両童子様」と呼んで祀っているのです。
またこの「接心修行」にはいくつかの種類があり、
(1)「向上接心」・・・自身の修行として月に1回は必ず参加する
(2)「相談接心」・・・霊告によってさまざまな悩みを解決するための指導を受けること
(3)「特別相談接心」・・・(2)を特別に行ってもらうもの
(4)「鑑定接心」・・・事業・縁談などについて、易で鑑定してもらうもの
などです。もちろんこれらの接心に参加するには、必ず寄付金が必要になります。
何百回もの接心や、霊位を向上させるための「大乗会」「歓喜会」「大歓喜会」「霊能会」という4段階の「相承会座(そうじょうえざ)」に参加することによって、信者は霊能を磨き、仏性を開発することができるというのが真如苑の教義なのです。
真如苑では、入信者に対して「小乗」→「大乗」→「歓喜」→「霊能」という段階的ステータスが用意されていて、これによって信者は競争意識を煽(あお)られ、ネズミ講のような形の中で信者集めに狂奔(きょうほん)し、お金を積み、行を重ねる、というようなシステムになっています。

邪宗教である理由

■本尊に迷走する真如苑

昭和10年の不動明王に始まり、昭和32年には寝釈迦像、さらに昭和54年には十一面観音を加えて、「衆生の化導法(けどうほう)が整った(=三輪身満足)」などと主張した伊藤真乗ですが、それでは衆生の化導法が整う以前の信者たちというのは「救済されなかった」ということになります。その時々の思いつきで本尊を追加したりするから、こういうワケの分からないことになるのです。
信仰の根本である本尊がこの有り様では、どんなにもっともらしい理屈をこじつけても、ご都合主義の批判は免れません。
また、真如苑が依経(えきょう=よりどころの教典)としている『涅槃経』には、釈迦如来が久遠常住(くおんじょうじゅう)であるとか、不動明王やら十一面観音を本尊に立てて拝めなどとはいっさい説かれていません。やはりこれも伊藤真乗の勝手な思いつきであり、涅槃経の経旨(きょうし)にも背(そむ)くものです。

■「霊能」は仏教とは無縁の外道義

真如苑では、「誰もが仏性を有し霊能を具(そな)えている」と定義し、その霊能を開発し霊位を向上させることを勧めています。
「一切衆生・悉有仏性(いっさいしゅじょう・しつうぶっしょう)」
というのは「すべての人にはことごとく仏性(仏界)が有る」ということですが、この「仏性」と「霊能」は何の関係もありません。
仏法が説かれた目的は、すべての人々を成仏に導くことです。成仏とはもちろん死ぬことではなく、「成」とは「開く」の義であり、我が身そのままに仏界(仏性)を開くことを「成仏」というのです。そこには、霊能などという意味不明のいかがわしいモノはまるで関係ないのです。
教団の言う「常楽我浄(じょうらくがじょう)の歓喜の境涯」というのは、仏法ではこの成仏の境涯のことを指すのであり、霊能力を高めるだの霊位を向上させるだの、そういう馬鹿げたモノといっしょにされては困ります。
また教団では、霊能者の霊言を聞いたり指導を受ける「接心」なる修行がありますが、そもそも霊能などは、仏教とは何の関係もない外道(げどう)です。このようなモノには何も意味が無いどころか、逆にこのような妄言に悪影響を受けて人生が狂う例はいくらでもあります。
そもそもが、真如苑の霊能者にはマニュアルがあり、これにしたがって「霊言を述べている」ということなので、外道の霊言ですらないのです。こんなモノに耳を傾けるだけ損をします。

■霊界だの霊魂だのは仏教ではない

真如苑では、「霊界にいる先祖の霊魂が苦しんでいるので、その霊のタタリで現在が良くない。これを除くために、真如苑で護摩や施餓鬼(せがき)の供養をするように」などと勧めています。
しかし、仏教では「死んだ後も、個々人の我(が)が霊魂として永遠不滅に存続する」というような説を「常見(じょうけん)」と呼び、これを否定しています。仏教では死後の生命は法界にあって前世の因果を感じながら、縁にあってまた生じると説き、因果を無視した「霊界」や「霊魂」の存在を否定しています。
霊魂「のようなもの」というのは確かにありますが、それはこの因縁の大原理によって変相流転する生命の一面をかいま見たに過ぎません。訳の分からない霊能者やら邪宗の坊さんやらが、テレビ等で好き勝手なことを言ったりしてますが、あれは実は仏教とは何の関係もない外道義なのです。
ましてや「真如霊界」などというものは、もちろん仏教典のどこにも説かれていない、真如苑が勝手に作り出した創作世界に過ぎず、何の根拠もない荒唐無稽なものです。 ついでに言えば「両童子様」などというものも、伊藤が若死にした息子のことを言いつくろうために創作した存在であり、それが信者を利益するなど、何の根拠もないデタラメです。
仏教では、個々の行為に因果の理を説くものであって、善悪の因の果報は、他人が身代わりになって受けることなどできません。つまり、この因果を無視した「抜苦代受」などは、仏教とは何の縁もない外道の邪説です。
霊界だの霊魂だのを持ち出すのは、その教団に幼稚な教義しかない証拠です。これは要するに、タタリだ何だと何も知らない信者を脅(おど)し、護摩や施餓鬼で信者から金を巻き上げたいだけのことです。

■涅槃経(ねはんぎょう)を教典とする誤り

真如苑では、『大般(だいはつ)涅槃経』を釈尊の究極の教えであるとして、これを依経(えきょう=よりどころの教典)としています。
涅槃経という経は、8年間にわたって法華三部経(法華経の開経である『無量義経』、真実の経である『法華経』、結経である『観普賢菩薩行法経』)を説かれたのち、入滅に臨んで一日一夜で説かれたものです。
この経は、法華経の会座(えざ)より退去した5000人もの増上慢(ぞうじょうまん)の衆生、および釈尊一代50年の教化に漏れ、成仏できなかった人々のために説かれました。『涅槃経』の菩薩品には、
「法華の中の八千の声聞(しょうもん)の記別を授かる事を得て大果実を成ずるが如きは、秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」
と説かれています。
すなわち、法華経がすべての人々を成仏させることを秋の収穫に譬(たと)えるのに対して、涅槃経はその後の落ち穂(おちぼ)拾いに譬えられているのであり、涅槃経そのものに「法華経こそが釈尊究極の教えである」と位置づけられているのです。
また、涅槃経には方便教の内容も重ねて説かれており、純然たる円教(えんぎょう)である法華経と比べれば、はるかに劣る教えに分類されるのです。
したがって、涅槃経を究極の教えであるとする真如苑は完全な誤りです。

【参考】法華経と涅槃経の勝劣について
真如苑の方々の中には、上記の通り解説しても、なお頑迷に「涅槃経こそが釈尊の最高の経典である」と主張する人たちがいます。なのでもう少し詳しく、法華経と涅槃経の差異・勝劣について述べてみましょう。
少し専門的な内容になり、しかも長文ですので、関係ない方は読みとばしてください。

【涅槃経を第一と主張する根拠について-1】

「一切の諸法は、ただ涅槃を除き、さらに一法も常なるものはない」
「一切の契経(経典)に依り諸々の禅定を修しても、是の大般涅槃経を聴聞せずば、みな一切悉く無常である」
「たとえば衆の流れはみな海に帰すが如く、一切の契経、諸々の三昧もみな大乗大涅槃経に帰す云々」
……他にも多々あるようですが、涅槃経には上記のような主旨の経文があり、そうした内容を踏まえて「涅槃経最第一」を主張する人がいるようです。
しかしながら、こうした「この経こそ最も勝(すぐ)れた教えである」という意味の経文は、他の諸々の経典にも同様にあります。
例えば密厳経という経典には「是(か)くの如(ごと)き密厳経は、一切経の中に勝れたり」等とありますし、大雲経という経典には「是(こ)の経は即ち是(これ)諸経の転輪聖王(てんりんじょうおう)なり」等とあり、また華厳経には「この法を信ずるものには莫大(ばくだい)な功徳がある」ことを証明する経文があります。このように、ありとあらゆる経典には、それぞれに「この経こそが最高である」主旨の文言があるのです。
これは当然で、もし「実は他に真実の教えがあるのだけれども、それは置いといて今はこの説法を聞きなさい」などと言ってしまったら、誰も耳も貸さなくなってしまいます。したがって「当分の第一」という意味において、諸々の経典に「この経が一番」と説かれているのです。涅槃経の前述のような経文も、これらと同様です。
「経文の文面だけで判断するな」「義に依って語に依らざれ」等と反論する人もいるようですが、その義が間違っているのであるということを、しっかり認識していただきたいと願うものです。

【法華経を最第一と証明する-1】

まず、法華経の開経である無量義経には、
「諸(もろもろ)の衆生の性欲(しょうよく)不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず」(『無量義経』説法品)
と説かれ、これまで42年間には真実の教えを説いてこなかったのであると明かします。そして法華経において、
「正直に方便を捨てて 但(ただ)無上道を説く」(『法華経』方便品第二)
として、これまでの方便の教えを捨て去り、無上道(最高の教え)を説いたのです。そしてさらに、
「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵(ぞう)なり。諸経の中に於いて、最も其(そ)の上(かみ)に在り」(『法華経』安楽行品第十四)
等々とも説かれています。しかしこうした文証の場合、先に涅槃経の経文について「当分の第一である」としましたが、それと同じことではないのか、という疑問がでてくるかもしれません。
しかし法華経には、以下の経文があります。
「我が所説の諸経  而(しか)も此(こ)の経の中に於いて 法華最も第一なり(中略)我が所説の経典、無量千万億にして、已(すで)に説き、今説き、当(まさ)に説かん。而(しか)も其(そ)の中に於て、此(こ)の法華経、最も為(こ)れ難信難解なり」(『法華経』法師品第十)
この経文中、「已に説き」とは42年間の方便教のことであり、「今説き」とは開経の無量義経であり、「當に説かん」とは、法華経の後に説く結経の普賢経(ふげんぎょう)と、そして『涅槃経』を意味します。
すなわち、過去・現在・未来のすべてにわたる一切の経典の中で、この法華経こそが最も勝(すぐ)れた経典であると、釈尊自らが宣言されているのです。これを「已今当(いこんとう)の三説超過」といいますが、これについて中国天台宗の第六祖・妙楽大師は、
「縦(たと)ひ経有って諸経の王と云ふとも、已今当説最為第一と云はず」(『法華文句記』)
と述べられています。すなわち、当分の第一として「この経が最も勝れている」という意味の経文は諸経のあちこちに示されていても、過去・現在・未来の一切のなかで「最も勝れている」と宣言されるのは、法華経以外にはありません。
したがって、「法華経こそが最も勝れた、最高の教法である」と言えるのです。

【涅槃経を第一と主張する根拠について-2】

ある人いわく、真如苑は涅槃経の眼目を、
1.一切衆生・悉有仏性
2.常楽我浄
3.如来常住
4.一闡提(いっせんだい)成仏
という4つとしているのだそうです。なるほど、これらは確かに尊い教説です。しかしこれらは、涅槃経の前に説かれた法華経の意義を、名目の上からもう一度おさらいしたに過ぎません。
例えば1.の「一切衆生・悉有仏性(一切の衆生にはことごとく仏の命がある)」について言えば、涅槃経には名目はあるものの、その「現実の証拠」はまったく示されていません。かの有名な堤婆達多(だいばだった)のような、五逆罪(ごぎゃくざい)のすべてを犯した大悪逆人(実際に堤婆達多が犯したのは殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧の三つですが、殺父・殺母の二逆は阿闍世王子を教唆してやらせたので、五逆罪すべてを犯したに準ずる意味があります)が成仏したというような証拠は、涅槃経40巻のどこにも説かれていないのです。
ではその実証はどこに説かれているかといえば、『法華経』堤婆達多品第十二に、堤婆達多が天王如来の記別(きべつ)を受けて成仏したと説かれているのです。この現実の証拠こそが、名目だけの理論・教説に勝るのです。
このことは4.の「一闡提(いっせんだい)成仏」も同じです。一闡提というのは、訳すと「多欲」「楽欲(ぎょうよく)」ということで、欲望第一で正しい法を信ぜず、悟りを求める心もない、因果を信じない、仏性を信ぜず成仏のための能力がない衆生をいいます。堤婆達多はこの一闡提であり、彼の成仏によって「一闡提成仏」も、法華経によって実証されているのです。

【法華経を最第一と証明する-2】

一切の衆生が成仏できることが、実証の上から明かされているのは法華経です。
まず、方便の大乗教において「永(よう)不成仏」、つまり永久に成仏できない衆生として声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんかくじょう)の「二乗」がありましたが、法華経にいたって、初めて二乗に対して成仏の記別が与えられました。これを「二乗作仏(にじょうさぶつ)」といいます。また法師品第十では「凡夫成仏」が説かれました。
そして先述のとおり、堤婆達多品第十二において地獄界の衆生の極悪人・堤婆達多の成仏が示され、さらには8歳の竜女の即身成仏が示されたことにより、初めて実の意味での「一切の女人の成仏」が明かされました(諸大乗経典では、女人の成仏は説くものの、それは例えば何回も生まれ変わり死に変わり、最後には男性に生まれて成仏と果たすというような「改転の成仏」であり、女人の成仏は有名無実でありました)。また竜女の成仏によって「畜生の成仏」も実証されています。
こうして法華経によって「一切衆生・皆成仏道」が開かれ、すべての衆生の成仏が可能となり、十界互具・百界千如・一念三千の法門が確立されたのです。
そして釈尊は『法華経』見宝塔品第十一において、
「誰(たれ)か能(よ)く此(こ)の娑婆国土に於(おい)て、広く妙法華経を説かん。今正しく是時なり。如来久しからずして当(まさ)に涅槃に入るべし。仏、此の妙法華経を以(もっ)て、付嘱(ふぞく)して在(あ)ること有らしめんと欲す」
と説かれました。すなわち、
「我、釈尊は近いうちに入滅(涅槃)するであろうから、この世からいなくなる。しかし自分の肉身は滅したとしても、真実の悟りであるところの法華経は、後の未来の衆生のために遺(のこ)しておかねばならない。そのためにこの法華経を付嘱して令法久住(りょうぼうくじゅう)させたいのである」
ということです。これまさしく、法華経が唯一真実の経であるからこその宣説です。そしてこの後、神力品第二十一において、上行菩薩を上首とする本化地涌の菩薩に、滅後末法における法華経の弘通(ぐづう)を付嘱したと説かれるのです。
さて、大多数の衆生はこの法華経によって成仏を果たしましたが、法華経説法の序盤で席を立ってしまった5000人もの増上慢の衆生や、釈尊一代50年の教化に漏れ、成仏できなかった人々がいました。それらの衆生のために説かれた経、それが『涅槃経』です。
涅槃経は、法華経の意義をあらためておさらいするという意味もあり、その理論として「一切衆生・悉有仏性」等の尊い教えも説かれています。しかし同時に、涅槃経は「追説(ついぜつ)」といって、一代50年の諸経のさまざまな教えをもう一度説いている経でもあります。
法華経が、純円無雑(じゅんえんむぞう)・円頓円極(えんどんえんごく)の究極の教えであるのに対し、涅槃経には円教を含むものの、それ以外の蔵教・通教・別教があらためて説かれているがゆえに無雑とはならず、純粋な円教とはなりません。いかに涅槃経に尊い円の教理が説かれていても、蔵・通・別という余分なものが付随しているがために、尊い円の功徳が顕れることはないのです。
結論として、法華経のみが唯一純円の極説であり、真実無二の経なのです。涅槃経はあくまで、法華経の一切衆生成仏に漏れた衆生を救済するための「落ち穂(おちぼ)拾いの教え」です。真実の本体は法華経にしかありません。
以上、法華経と涅槃経の勝劣について縷々(るる)述べました。ごくかいつまんで書きましたので、まだ書きたいことは多くありますが、キリがないのでこのへんにいたします。最後に、涅槃経を信奉して法華経を蔑む人々に、この経文を贈ります。
「若し人信ぜずしてこの経を毀謗(きぼう)せば(中略)其の人命終して阿鼻獄に入らん」(『法華経』譬喩品第三)

■真言宗の教義からも逸脱した愚迷

真如苑は、自分たちのことを「伝統仏教である」「真言密教である」と言い、真言宗醍醐派(醍醐寺)との密接なつながりを楯にして、「われわれは新興宗教ではない」と主張しています。しかし真如苑の教義等は、本来の真言密教とも全く違う、伊藤教祖の創作教義でしかありません。

【なぜ涅槃経を依経とするのか】

前述のとおり、真如苑では『涅槃経』を依経としています。しかし真言宗といえば、『大日経』『金剛頂経』等の真言密教経典を用いるのが普通です。真言密教と涅槃経は、何の関係もありません。
真如苑も、まこと教団と名乗っていた当時は、これら真言密教経典を使っていました。にもかかわらず、突如として「涅槃経は素晴らしい経典である」と、涅槃経を採用したのです。立教の日から、何と15年以上経過してのちのことです。
これは、単なる伊藤教祖の思いつきでしかありません。伝統仏教の場合、まず拠り所となる経典(教え)があって、それによって宗旨が成立しますが、新興宗教の場合はまず教祖がいて、あとから教えが形成されていきます。真如苑もその典型です。

【釈尊涅槃像を祀る不可解】

真言宗という宗派は、釈尊を「迷いの位」とし、「大日如来の草履取りにも劣る」存在であると侮蔑(ぶべつ)します。そして大日如来を最高の仏として祀(まつ)ります。これが本来の真言宗です。
にもかかわらず真如苑は、寝釈迦像を本尊として祀っています。こんなことは、真言宗の世界ではあり得ないことで、完全にその教義から逸脱しています。

【醍醐寺からの系譜】

真如苑では、醍醐寺から以下の系譜をもらったと自慢しています。
久遠常住釈迦牟尼如来→法身大日如来→普賢菩薩→龍猛→龍智→金剛智→不空→恵果→空海→聖宝理源大使→佐伯恵眼→金剛真乗(伊藤真乗教祖)→伊藤真砂子(真聡)
ここでも、大日如来の前に「釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)」がありますが、これも真言宗としては異常です。本来、真言宗で言う「付法の八祖」には、久遠常住釈迦牟尼如来などはありません。大日如来を最高の仏とするのが真言宗ですから、一番は当然ながら「大日如来」です。そして次が金剛菩薩となり、そして空海までで「八祖」となります。
そもそも真言宗醍醐派というのは、高野山真言宗の他に古義・新義合わせて8派あるうちの一派に過ぎません。真如苑はこの系譜を「醍醐寺から正式に受けた」と得意満面ですが、こんな系譜は真言宗全体から見れば、単なる「余流の一つ」でしかありません。ましてや「真如密」などとは、論外中の論外です。真言宗全体では、まるで相手にされていない存在・・・それが真如苑です。
このように、真如苑は自分たちを「真言密教である」等々とうそぶいていますが、実は真言宗の教義からも大きく逸脱した、まったく異質な存在なのです。
そもそも真言宗自体が邪法であるのに(第三章 真言宗の項参照)、そこからさらに脱線してデタラメにウソを重ねる真如苑は、まぎれもない邪義・邪宗です。

■伊藤真乗の本音

伊藤真乗は、次女(昭和44年に発生した教団内の利権争いにより教団を離脱)に対して常々、
「貧乏人は創価学会へ行け。中流は立正佼成会。金持ちだけが真如苑に来ればいいんだ」
と語っていたそうです。
要するに、そういう教祖であり、教団なのです。

以上、ごく簡単ではありますが、真如苑の教義についてその邪宗教である理由を述べました。皆さま方におかれましては、このような邪法邪師の邪義に惑わされることがありませんよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。

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正しい宗教と信仰

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第四章・既成仏教第五章・民間信仰第六章・神様信仰
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