創価学会第五項/写真偽造事件の卑劣

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創価学会 写真偽造事件の卑劣
偽造写真事件の真正集合写真
昭和61年11月22日、東京赤坂の料亭川崎でもたれた宴席は、離脱僧・椎名法昭の父である故・椎名法宣師と、故・阿部法胤師との合同主催による「古稀の祝い」の席であり、御法主上人猊下は、そこに招かれてご出席されたのでした。

創価学会は、平成4年11月以来、機関紙上に出所不明の宴席写真を掲載し、あたかも日顕上人猊下が芸者遊びに興じているかのごとく罵り、悪質極まりない誹謗中傷を繰り返しました。いわく、
「日顕(上人)が芸者をあげて放蕩三昧している写真」「堕落した行体」「遊蕩と邪淫」「放蕩写真」「芸者遊びにうつつをぬかす者」「芸者清け」「芸者衆を侍らし悦に入っている。一夜、数百万円の戯れである。…日顕(上人)は骨の髄まで腐敗している」「これだけの芸者をはべらして写真に納まるには、相当な花代が芸者にわたっている。そもそも芸者が簡単に写真に納まるはずもなく……」「放蕩法主・日顕芸下」「日顕(上人)が欲すはカネ、酒、色の堕落道」「はしために酒の相手をさせるどころか、自分の方から出掛けて行って、遊び狂っている」「日顕堕落宗」「遊蕩魔の地獄遊びの姿」「これぞ極めつけ『ワシ、もう成仏しそう』」
・・・こうした悪口雑言(あっくぞうごん)に乗せて、2枚の偽造写真が『創価新報』紙上に大々的に掲載されたのでした。
これらに対し日蓮正宗法華講側は、これらの写真には不自然な個所が見受けられる点を指摘し、合成などの重大な疑問があるとした上で、
「なぜ、写真を撮影した日時と場所を隠すのか。偽造ではないというなら、その日時と場所を明らかにせよ」
と主張しました。その追求に窮(きゅう)した学会は、聖教新聞紙上に離脱僧・椎名法昭を登場させ、その撮影日時等を明らかにしてしまいました。これによって、これらの写真がどういうものであるのか、その真相が白日の下にさらされることとなったのです。

悪意に満ちた変造写真
創価学会の変造写真1
変造写真(1)
真正写真
真正写真(1)


その一番目が、平成4年11月4日発行の『創価新報』に掲載された変造写真(1)です。
『創価新報』はこの写真について、
<得意のポーズでご満悦―。出た、日顕の『芸者遊び』写真 >
評したうえ、大見出しにて、
<日顕が欲すは「カネ、酒、色」の堕落道 まだ信伏随従するのか 芸者の世界は日顕の『心の故郷』!? 政子が止めても『酒はやめられない』 >
と掲げ、写真説明として、
<お待たせしました!またまた出ました、日顕の『芸者写真』!! 今度は日本髪の芸者さんを前に、一本指を立ててお得意のポーズ。何とも楽しそうな顔だ。>
などと解説し、
<ああ、希代の遊蕩坊主・日顕。そして、好色の教団・日顕宗。>
と結び偽造写真を報道しました。
しかし撮影日時等が明らかになったことにより、この変造写真の原板が発見されました。それが真正写真(1)です。
真正の原版写真と、上の学会の偽造写真との最大の違いは、猊下の奥に写っている人物を跡形もなく消そうとして、全く別物の背景を重ね合わせて、変造してしまっている点です。 これについて離脱僧・椎名法昭は、
「実は日顕(上人)の奥にもう一人僧侶が写っているんです。しかし、その人に迷惑がかかるといけないので、これは新聞に出す時はその人を消してくださいと頼んだんですよ」
などとトポケたことを言っていますが、それなら、その人物の顔の一部を黒く塗って隠せば済むことです。
それをわざわざ、この人物を跡形もなく消したり、そのために全く別な背景を重ね合わせてしまうなどという必要がどこにあるでしょうか。
あえてその必要があるとすれは、それは、この写真を撮影した日時・場所・宴席名を隠し、あたかも「猊下が芸者遊びに興じた現場写真」であるかのごとく見せたいがためです。 他の僧侶の方の姿も総て消してあることからしても、それ以外の動機は考えようがありません。これを「偽造写真」「変造写真」と呼ばずに何と呼ぶのでしょうか。 ところが学会は恥知らずにも、
「<芸者写真は偽造>なる宗門側の主張は、明らかに事実の歪曲です。『創価新報』に掲載された2枚の芸者写真は、たしかに一部修正されてはいました。しかしその修正とは、宗内にいる写真提供者の身の安全に配慮したトリミング(他の宴席出席者が写った部分の削除)や、芸者衆のプライバシーに配慮してのアイマスク(目の部分を線で隠す)であり、報道倫理上、むしろ好ましい修正で」
などという言い訳をしています。
芸者衆のアイマスクは当然ですが、これほどの変造を「トリミング」と呼ぶことはできません。
学会は用語を知らないようなので解説しますが、トリミングというのは、円形でも四角でもいいから、「写真の不要部分を単純に切り落とす」ことです。人物を消去して、人物の位置を切り抜いて移動して、おかしくなった背景を潰して壁に見せかける……こういうのはトリミングとは言いません。偽造というのです。プライバシーへの配慮だったら、アイマスクで充分ですよね?
あくまでも「猊下が芸者遊びをしている」という印象を会員に植え付けるために偽造した、その意図は明白ではありませんか。ふざけた言い逃れです。

■ノーカット版ではない!

創価学会の変造写真1
変造写真(2)
真正写真
真正写真(2)

創価新報そして次に、平成4年11月18日付の『創価新報』に掲載されたのが変造写真(2)です。
『創価新報』はこの写真についても、
<この日は特に興に乗ったのか、一座と写真に納まる大サービスぶり。脂(やに)下がった顔での『記念撮影』と相成った次第です。>
と評したうえ、大見出しにて、
<えっ、これじゃ『日顕堕落宗』? 猊座の後はここにキマリ 猊座がなくても『芸座があるサ』これぞ極めつけ「ワシ、もう『成仏』しそう」>と掲げ、
<だって猊座を追われてもワシにはちゃんと別の『芸座』があるからね。>
などと結び、この写真を報道しました。
この写真についても、真正の原盤写真が発見されました。それがこの真正写真(2)です。
この写真の変造方法は、先ほどの「学会の言い訳」で言うところの「トリミング」です。はじめに『創価新報』に掲載された写真では背景が消されていましたが、人物等を合成しているわけではないので、最初の偽造写真とは違います。
しかし問題なのは、平成5年2月17日付の『創価新報』にあらためて掲載された、背景を復活させた写真を、
「これぞノーカット版」「これでも偽造写真と言うか!」
などと言い放っている点です。背景を復活させているので、最初の写真とは違い「偽造」ではないでしょう。しかし断じて「ノーカット版」ではないのです。
真正写真を見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)のとおり、この写真は単なるスナップ写真です。
呆れたことに創価学会は、原版に写っている左右の人物を故意にカットし、それをわざわざ「ノーカット版」などと偽って『創価新報』に掲載し、あたかも猊下が多くの芸者衆と遊んでいる邪淫現場のごとく見せかけていたのです。
これは、事実を曲げて報道するために行われた「写真の捏造」であり、御法主上人猊下を貶(おとし)めるための謀略に他なりません。目的のためには手段を選ばぬ創価学会の体質が、ここに如実に顕れています。

主催は椎名師と阿部師

この項の冒頭に掲載した写真のとおり、これら一連の写真変造事件の元となった写真は、故・椎名法宣師と、故・阿部法胤師との合同主催による「古稀の祝い」の宴席です。御法主上人猊下は、そこに招かれてご出席されたのでした。
ところが学会側は、この写真についてもこのように掲載していました。

集合写真

真正写真の下部にある「椎名法宣・阿部法胤 古稀記念」の文字を故意に削除し、さらに出席者にアイマスクをして誰が出席しているのか分からないようにしています。
しかし事実は真正写真のとおりであり、この宴席には、猊下だけではなく、猊下夫人、そして御僧侶9名と御僧侶夫人7名も、招侍されて同席しています。すなわち、ごく一般的な祝宴の席なのです。
これを悪意でねじ曲げ、「猊下と芸者の仲睦まじい放蕩」「芸者遊びにうつつをぬかす」「遊蕩と邪淫」「とどのつまり淫乱」の現場だなどとは、よくも言えたものです。
そもそもどこの世界に、夫人同伴で「芸者と仲睦まじく」「邪淫」「淫乱」をする人間がいるのでしょうか。
さらに学会は、当日の主催者について、
「日顕(上人)が二人を呼び、古稀の祝をして何の不思議が あろうか。日顕(上人)が主催者である可能性は充分にある」
などと、無理な言い逃れをしようとしました。

宴席の主催者

しかし、一度は御宗門から離脱したものの、その後に正信を取り戻し大石寺に帰伏(きぶく)された故・椎名法宣師は、当日の主催者はご自身と故・阿部法胤師であったことを認めているのです。
さらに上の写真にあるとおり、法席上位の故・椎名法宣師と故・阿部法胤師が、法席下位の須賀法重師よりも下座に座っています。これは主催者だからであり、そうでなければ御宗門において、このように席次が入れ替わることはあり得ないのです。
学会の見苦しい言い逃れは、まったく通用しません。

不可解な東京高裁判決

■写真偽造、東京高裁も違法行為を認定。しかし損害賠償認めぬ不当判決

平成15年12月5日、東京高裁813号法廷(鬼頭季郎裁判長)で、偽造写真事件の控訴審判決が下されました。
この裁判は平成14年12月、学会による「芸者写真」捏造、およびそれを基にした池田大作の誹謗中傷発言などの名誉毀損行為に関し、東京地裁から、
「その違法性は社会通念上けっして容認できない程度に至っていることは明らか」
「名誉毀損の成立は妨げられない」
として、総額400万円の損害賠償を命じられた池田大作と創価学会が、これを不服として控訴していたものです。
この裁判における最大の争点は、創価学会による「偽造写真という虚偽まで用いての誹謗・中傷」が、名誉毀損という違法行為にあたるか否か、ということでした。
古稀の宴席に、夫人同伴で招かれた際の日顕上人の写真を改ざんし、あたかも、日顕上人がただ一人で、いかがわしい芸者遊びをしていたかのごとき偽造写真を作った上で、「ああ、希代の遊蕩坊主・日顕(上人)。そして、好色教団・日顕宗」などと、日顕上人はもちろんのこと、日蓮正宗に対しても誹謗中傷を重ねた、池田大作ならびに創価学会の違法性を問うたのです。
鬼頭裁判長は判決文で、
「写真を見た者に対し、阿部日顕(上人)一人が酒席で芸者遊びをしているとの、実際の情況とは異なった印象を抱かせるのに十分であり、これをもって客観的な報道ということはできず、修正の限度を超えている」
「(『創価新報』の報道は)正当な言論や評論の域を超え、単に阿部日顕(上人)を揶揄(やゆ)し、誹謗、中傷するものとして、違法性を有するものというべき」
と、東京地裁よりもさらに明確な表現で、池田創価学会の行為が違法行為であることを認めました。
ところが!
鬼頭裁判長は、その一方で、『創価新報』の報道ならびに池田大作発言等における名誉毀損行為は、あくまで日顕上人個人に対して行なわれたものであり、日蓮正宗および大石寺を非難・中傷したものとは認められないとして、一審判決をくつがえし、日顕上人個人が原告になっておられなかったことをこれ幸いとばかりに、原告たる日蓮正宗および大石寺の損害賠償請求を棄却してしまったのです。
これでは、違法性が明白であるのに、むりやり池田大作・創価学会を勝たせようとした不当判決としか言いようがありません。
日顕上人個人に対する名誉毀損は、そのまま日蓮正宗および大石寺の名誉毀損であることは、社会常識である。しかも、学会は日蓮正宗をも「日顕宗」などといって、直接名誉毀損報道をしていたというのに、驚くべきねじ曲がった判決を下したのです。
さて、以上のように今回の判決は、日蓮正宗側にとって「裁判に勝って訴訟に負けた」というようなものです。
しかるに創価学会は、無節操にも、損害賠償を免れたことのみをことさらに取り上げ、『聖教新聞』等で「全面勝訴」と大はしゃぎ。
判決内容を吟味する術(すべ)を持たぬ学会員らは、その『聖教新聞』等をコピーして、手当たり次第に配り歩いている始末です。
しかし、これは、判決内容を知る者から見れば、「自分たちは違法行為集団です」と言いふらして廻っている愚かな行為でしかありません。
ことに、判決文の主要部分を無視し、
「『創価新報』が遊興の事実を報道した目的が、日顕(上人)個人の法主としての資格を鋭く問おうとしたものであることを認めた、極めて妥当な判決」(『聖教新聞』十二月六日付)
などと報じる様は、目的達成のためならば、違法行為でさえ平気で犯す創価学会の体質を、自ら自慢しているようなものです。
ましてや、学会側弁護士・宮原守男氏の、「(記事は)いわゆる公正な論評にあたるもので、もともと名誉毀損の責任を生ずるものでないことはいうまでもない」などという談話に至っては、もはや理解不能です。

高裁がいかに不当な判決を下そうとも、最高裁が上告を棄却しようとも、これまで見てきたとおり、また判決文にその違法性が認められているとおり、創価学会が巻き起こした偽造写真事件は、ウソにウソを重ね、ねつ造にねつ造を重ねたものであり、学会の反社会性を浮き彫りにしています。
何よりも、いまだに学会に籍をおく方々が学会の悪宣伝に惑わされることなく、正直な眼で、正邪の判別をし、一日も早く信仰の寸心を改められることを祈ります。

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