創価学会第六項/池田大作本仏論

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創価学会 池田大作本仏論

池田大作にとって、最も邪魔な存在は誰なのでしょうか。
御隠尊日顕上人に対しては、憎くてたまらないでしょう。第六十六世日達上人に対しても「邪魔だ」と思っていたでしょう。しかし池田にとって最も邪魔な存在とは、御法主上人猊下ではありません。では、いったい誰なのか。
そう、池田にとって最も邪魔な存在とは、「御本仏・日蓮大聖人様」に他なりません。日蓮大聖人様が末法の御本仏としておわします限り、池田大作が「すべての頂点に立つ」という野望を実現させることはできないからです。
それに、日蓮大聖人を御本仏と仰(あお)ぎ奉る以上、結局は日蓮正宗の教義に従い、御法主上人猊下に教えを乞(こ)わなければ成り立たなくなってしまいます。
現在ですら、教義面では日蓮正宗の御歴代上人様の御指南を引用し、さらには総本山第二十六世日寛上人様の御本尊を変造してニセ本尊を製造・販売したり、教義と本尊を盗まなければ信仰が成り立たない有り様です。
日蓮正宗から、教義も本尊も完全に独立するためには、何としても池田大作が日蓮大聖人を凌(しの)ぐ存在になり、池田が「日蓮大聖人に替わる新しい末法の御本仏」になることが必要なのです。
池田は長い年月をかけて、じっくりと周到(しゅうとう)に、そして学会員たちが気がつかないように、意識の底に「池田大作本仏論」を植え付けていきました。
そして学会員たちは知らぬ間に、根本の御本仏である日蓮大聖人様と、たかだか信徒団体の代表でしかなかった池田を同列に扱うようになり、さらには「池田先生は大聖人の再誕」となり、ついには「池田先生は大聖人様を超える存在」になってしまっているのです。
もはや、日蓮大聖人を「信じているフリ」をしながら、実は「池田に信伏随従(しんぷくずいじゅう)する」という、実に奇怪な信心です。これはあからさまな大謗法であり、もはや日蓮大聖人の仏法などと呼ぶことはできない、完全なる邪教「池田教」を意味します。
この「池田大作本仏論」は、どのようにして形成されてきたのか……それについて、『慧妙』紙に、3回にわたって特集連載された、「池田大作本仏論」を体系立てて検証した記事がありました。
この項では、この時の記事をまとめて転載させていただき、資料として残したいと思います。池田大作本仏論は、創価学会が日蓮大聖人の仏法から離れ、大謗法と化した根本的問題であるからです。
どうか心ある学会員各位におかれましては、池田大作を師と仰ぎ信伏随従することがいかに大きな誤りであるのか、よくよくお考えいただきたいと願うものです。

恐るべき池田本仏論の中身

今日の創価学会が引き起こしている、仏法上・世間法上の様々な問題(ことに、仏法上においては三宝破壊の大謗法、世間法上においては日本の国家機構の乗っ取り)は、すべて池田大作の「慢心」から生じたものである。では、池田大作の慢心とは、どのようなものなのか。ここに、その正体を究明してみよう。

池田大作の人並み外れた「慢心」……。それを物語る資料は数えきれない程ある。
たとえば、自らを「日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」などと誇称した妄言や、あろうことか、池田大作を本仏に匹敵させる発言・著述・指導、あるいは、正本堂を大聖人御遺命の本門事の戒壇であると強弁して、池田がそれを建立した大功労者たらんとする発言、あるいは、「戒壇は豆腐のカスのようなもの、オカラにすぎない」という不遜(ふそん)な発言……等々。
これらを一つずつ列挙したら、とうてい枚挙に暇(いとま)がないので、それは別の機会に譲るが、こうした池田大作の慢心は、どのようなところから起きていたのだろうか。
ここで池田大作の慢心の中味を整理・検討し、その正体を明確にしておこう。

■会長を「仏」と僭称した池田大作
 会長本仏論とはまさに「池田本仏論」

第六十六世日達上人は、
「最近わかったのですけれども、すでに昭和38、9年ごろから『会長が仏だ』という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった」(昭和54年3月31日)
と仰せられ、池田大作(当時・会長)を仏と仰ぐ、いわゆる「会長本仏論」が、そうとう以前から学会内に蔓延(まんえん)していたことを指摘されている。
この会長本仏論を言い始めたのは誰であったかというと、それは他ならぬ池田大作自身であり、その時期は正確には昭和33年からであった。
「仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです」(昭和33年9月14日)
「戸田先生は仏さまであられます」(昭和35年4月1日)
すなわち、戸田城聖2代会長の没後、創価学会は会長空席の期間が2年間にわたって続いたが、その間に、総務であった池田大作が、組織的にも完全に学会内の全権を掌握し、3代会長への道を確実なものにしていった。
そして、まさにその時期、池田は、「会長先生は仏さま」という宣伝を繰り返して会長本仏論を学会内に浸透(しんとう)させ、その上で、昭和35年5月、自らがデッチ上げた「仏の座」である会長職に就任したのである。
かくいうと学会員たちは、組織で教えられているとおりに、
「池田センセーが仏で何が悪い!? 大聖人は『法華経を持つ者は必ず皆仏なり』(御書1047頁)と仰せである。一切衆生が仏界をもっており、その上、お題目を唱えている者は全て仏なんだから、池田センセーも仏でよいではないか!!」
などという、習い損(そこ)ないの反論をする。
だが、池田大作の言う「仏さまはウソをつかない」「会長先生は仏さま」という意味は、「会長も一切衆生の一人として仏」などというものではなく、「一切衆生の中でも会長こそ、他から尊崇(そんすう)されるべき仏」というものであって、ここでいう「仏さま」とは、まさに信仰の対象たる「御本仏を意味する仏さま」なのである。
その証拠を挙(あ)げる。
「『妙法への帰命(きみょう)』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬ。」(『人間革命』第3巻)
ここで池田は、創価学会会長への「帰命」を説いているが、いうまでもなく「帰命」とは
「一切の仏の始めは南無と申す。南無と申すは月氏(がっし)の語、此の土にては帰命と申すなり」(御書1672頁)
「一切のかみ仏をうやまいたてまつる始めの句には、南無と申す文字ををき候なり。南無と申すはいかなる事ぞと申すに、南無と申すは天竺(てんじく)のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり」(御書1544頁)
「南無とは梵語(ぼんご)なり、此には帰命と云ふ。帰命に人法之有り。人(にん)とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり」(御書1719頁)
等と仰せのごとく「南無」のことであり、本来我々が南無(帰命)すべき信仰の対象とは、御本仏・日蓮大聖人(久遠元初の釈尊)と、南無妙法蓮華経の御本尊(文底下種の法華経)のみである。
しかるを、「妙法への帰命すなわち戸田城聖への帰命」などといったら、それは、御本尊への帰命イコール創価学会会長への帰命、という意味になり、まごうことなき会長本仏論となる。
さらに池田は、最高幹部達に
「まさしく、現代における人への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる」(『ひのくに』昭和50年第10号)
等と指導させ、ここに、池田の企図する会長本仏論、すなわち「池田大作本仏論」が成立する。

■「池田本仏論」が学会内に蔓延!
 第六十六世日達上人「宗旨に背く」と明快に破折

ゆえに、学会出版物の中には、以下のごとく、池田本仏論を述べた記述や指導が随所(ずいしょ)に散見されるのである。
「世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。(中略)私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。(中略)身命を惜しまず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる」(『大白蓮華』昭和41年2月号)
「私から幹部の任命を受けることは、記別(きべつ=仏が弟子達の未来の成仏を約束すること)を受けることです。これなくしては法華経を持つといえども無益である」(『前進』昭和42年2月号)
「私は何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ」(『前進』昭和41年1月号)
「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく」(第40回社長会・昭和45年11月19日)
「私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。(だから)何でも話しておかねばならないのだ」(第15回社長会・昭和43年8月3日)
「皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ」(『前進』昭和44年10月号)
「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」(『前進』昭和45年5月号)
「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない」(『前進』昭和40年6月号・池田指導)
学会員のために念のため説明しておくが、末法において主師親三徳を兼備(けんび)するのは御本仏日蓮大聖人だけであり、弟子檀那(だんな)に成仏の記別を授けることができるのも御本仏だけ。また、三世十方(さんぜじっぽう)を全て御覧になることができるのも、衆生に福徳を与えるのも、衆生の境智冥合の対境となるのも、全て御本仏の境界においてのみ、なしうるのである。
されば、これらの記述は、いずれも「学会員の信仰の対象を池田大作に定める」という、池田本仏論に他ならない。この池田本仏論に対し第六十六世日達上人は、次のように破折(はしゃく)を加えられた。
「御書に『天に二日無く、地に二王無し、一仏境界、二尊の号なし云々』ということを、仰せになっております。(中略)一仏境界、一の仏が化導をするその範囲は、ただ二尊の号無し。即ちただ一人の仏である。というお言葉でございます。
だから、末法万年、尽未来際まで大聖人様の南無妙法蓮華経は、慈悲のために垂(た)れ給うたのであります。ゆえに大聖人は末法尽未来際に至るまでの、久遠の仏様であります。それが我々の、日蓮正宗の教義であります。
最近ある所では、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということをうすうす聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とは言えません。
(中略)大聖人様以外に本仏があるなどと言ったらば、これは大変なことである。(中略)広宣流布はしなければならん、けれども教義の間違った広宣流布をしたら大変であります」
(昭和49年4月25日)
要するに、御本仏は日蓮大聖人ただ御一人であり、その外(ほか)に、もう一人の本仏を立てるなどということは、宗旨(しゅうし)の根本に背く大謗法だと示されたのである。
普通、ここまでの道理と御金言を示され、また時の御法主より破折されれば、肝(きも)を潰(つぶ)し、まさに息絶(た)えるの想いをなして、ただちに反省懺悔(さんげ)しそうなものだが、しかし池田大作らは、さほどの痛痒(つうよう)を感じた様子もなく、独自の謗法路線を走り続けた。
それはなぜか。なぜ池田らは、「御本仏は大聖人御一人であり、もう一人の本仏を立てることは大謗法」という道理を示されても、屈伏(くっぶく)しなかったのか。

■“池田大作本仏論”は大聖人再誕論だ
 自ら大聖人になりすまそうと……

それは、池田大作が、自らを「御本仏・日蓮大聖人の再誕(さいたん)」と思っており、したがって(池田が大聖人であれば)、池田本仏論は大聖人以外にもう一人の本仏を立てることには当たらない、と思っていたからである。
その証拠に、昭和52年に起きた有名な話だが、池田大作が千葉の清澄寺(大聖人が幼少の頃に修学された寺)を訪れた際、そこに生える千年杉に向かい、木肌を撫(な)でながら、
「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」
と呟(つぶや)いてみせた件(※実は、この千年杉の樹齢はまだ約250年だった)や、あるいは、小松原法難に縁の深い華房の地へ行った際には、傷洗いの井戸を見ながら、
「あの時(小松原法難の時)は、たしか14人だったかな」
と発言した件など、ともかく池田が自分を日蓮大聖人の再誕に見せようとした言動は、数多く目撃されていて枚挙に暇(いとま)がない。
当然のことながら、学会組織内にも、口コミを使って「池田センセーは大聖人の生まれ変わり」という指導が広く流され、これを真(ま)に受けてしまった某会員などは、『週刊サンケイ』(昭和55年11月13日号)に
「池田先生は大聖人の生まれ変わりである。でも池田先生がそれを言ってしまえば、生命の永遠の何かもわからぬ人々から『何を証拠に』とつめよられ、狂人と断じられてしまうから、終生、御自身が日蓮の再認である、とは明言されないであろう。それを真に理解した者のみの集団が、今後の創価学会となって残る」(要旨)
等という投稿をしたほどである。
要するに池田本仏論とは、単に、創価学会会長を仏と比肩(ひけん)するほど崇(あが)め過ぎてしまった……というものではなく、まさしく、池田大作を「御本仏・日蓮大聖人の再誕と仰ぐ」というものだったのである。
しかも、これだけで完結しているわけではなく、池田本仏論には、もう一重の恐るべき慢心が秘められていた。そして、これは正本堂の問題とも、深く関係していた。

池田本仏は大聖人をもしのぐ広布の総大将

昭和42年10月12日、池田大作は正本堂の発誓願文において、
「詮する所、正本堂の完成を以(もっ)て、三大秘法ここに成就し『立正』の二字、すでに顕現(けんげん)せんとす」
と述べ、ナンバー2の北条浩(当時・理事長)は、『大白蓮華』(昭和45年5月号)に、「三大秘法完結の時代を迎えて」と題し、
「すでに大聖入御在世中に、<慧(え)>たる本門の題目、<定(じょう)>たる本門の本尊は建立された。そして、ただ<戒(かい)>たる本門の戒壇のみが『時を待つべきのみ』と後世に残されたが、ここに深い意義を感ずるのである。(中略)ここに正本堂建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法史上重要な意義」
云々と述べた。
すなわち、「正本堂は広宣流布の暁に建立される本門の戒壇であり、大聖人の顕わされなかった本門戒壇を池田大作が願主となって建立し、ここに三大秘法が完結する」というのである。
ここで、正本堂建立の意義を巡(めぐ)っての議論は、本稿の論旨ではないので別な機会に譲るが、問題は、この正本堂建立を利用した池田大作の大慢心である。

■天台・伝教の先例を利用した池田指導
 婉曲な表現ながら池田のホンネは露わ!!

すなわち池田は、『撰時抄』『報恩抄』に、
「法華経の円頓(えんどん)の別受戒を叡山(えいさん)に建立せしかば、(中略)伝教大師は、其(そ)の功を論ずれば竜樹・天親にもこえ、天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり」(御書842頁)
「されば内証は同じけれども、法の流布は迦葉・阿難よりも馬鳴(めみょう)・竜樹(りゅうじゅ)等はすぐれ、馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超えさせ給ひたり」(御書1036頁)
「正像二千年の弘通(ぐつう)は末法の一時に劣るか。是(これ)はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらす、時のしからしむるのみ」(同頁)
等とある御文を示した上で、さらに
「インド、中国、日本の三国にわたり、二千余年の仏教の歴史において、時に応じて出現したあらゆる論師、大師、大菩薩、大僧正等々と崇重されし人々よりも、日蓮大聖人の御弘通が勝(すぐ)れたもうこと百千万億倍である。しかるに日蓮大聖人は、本門の題目、本門の本尊のみ建立あって、本門戒壇の建立は後世の弟子に遺付(ゆいふ)あそぱされたのである。
ゆえに後世において、その時を得、本門戒壇建立の成就される時こそ、三千年の仏教史の最も重大な時である。日蓮大聖人の御入滅後七百年、国家権力の迫害を受けて、拷問(ごうもん)され、追放され、遠流(おんる)され、首斬られし人々よりも、我ら創価学会の弘通は遥(はる)かに勝れている。あるいは江戸時代のごとき大平時代に、幾千万巻の経典を結集したり、多くの師弟の養成をなした人々よりも、われらの弘通は百千万億倍勝れるのである。これすなわち時のしからしむるのみ」
(昭和39年11月『撰時抄講義』の序)
などと放言し、当時の理事長だった原島宏治氏も、
「日蓮大聖人御入滅後七百年、創価学会は、その御予言を実現する時を迎えたのである。釈迦一代の説法も、日蓮大聖人の御出現なくんば、だれびとか、これを証明する者があろうか。竜樹、天親(てんじん)は申すにおよばす、天台、伝教といえども、末法適時(ちゃくじ)の大法を知りつつ、これを顕現すべき時を得なかったのである。
いまや、末法出現の御本仏、日蓮大聖人の御遺命(ごゆいめい)たる本門戒壇の建立、すなわち王仏冥合の達成は、だれびとの手によって成就さるべきか。過去において、幾多の強信者、先覚者は現われたであろう。しかし、時いたらず、ついに大衆的、組織的活動に発展せずに終わった。
今正(まさ)しく化儀(けぎ)の広宣流布達成の時である。この時をわきまえずして、いかに天下国家を論じようとも、所詮は戯(け)論にすぎない」
(昭和39年11月『撰時抄講義』発刊の辞)
等と述べている。さすがに婉曲(えんきょく=回りくどく)に表現してはいるが、詰まるところ、大聖人の仰せられている、
「天台大師と後身(ごしん)の伝教大師は、その内包は等しいけれども、迹門(しゃくもん)戒壇建立という法の流布において、天台より伝教の方が勝れる」(趣意)との御金言を前提として、
「日蓮大聖人ですら建立できなかった本門戒壇を、七百年後に建立する池田大作は、その弘通において大聖人より勝れる(いわんや、七百年間に出現した先師方や、法難によって斬首された熱原の三烈士、また江戸時代に、甚深の教学を体系化して数多の人材を輩出された日寛上人等よりも、池田は百千万億倍勝れる)」
「釈尊の予言を証明した大聖人は釈尊よりも勝れ、大聖人の予言を証明した池田は大聖人よりも勝れる」

と言いたいのである。
こうした池田のホンネは、種々の発言の中にも顕われている。
「大聖人の場合は人数も少なかった、時代も違う。弟子も少なかった。信者も少ない。そういう意味からいえば楽である。我々の場合には時代は激動である。そしてマスコミもある。陰険な人間ばかりである。大変なことである。しかし一代で終らない。大聖人の場合には一代で一応終えられた」(昭和52年1月16日・第4回伸一会総会)
「大聖人は700年前ご出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです」(同年1月26日・第2回「インタナショナルの日」)
等々。これらを見れば、池田が、自分は弘通において大聖人より勝れる、との大慢(だいまん)を抱(いだ)いていたことは、誰の目にも明らかである。

■池田は自ら「大聖人より勝れる」と公言
 正本堂建立に向け徹底された口コミ指導

以上のことから、池田本仏論の全貌は、
「池田大作は御本仏日蓮大聖人の再誕(さいたん)である、よって大聖人と池田は内証において等しいが、広宣流布を達成し本門戒壇たる正本堂を建立するという弘通において、池田の方が大聖人よりはるかに勝れる」
というものであったことがわかる。
何とも呆(あき)れ果てた大慢心、恐るべき大謗法ではないか。そして事実、正本堂建立に向かっていた当時の学会では、
「大聖人ですら本門戒壇を建立することはできなかった。それを今、池田センセーが建立されるのだ」
「大聖人が出現しなければ、釈迦の予言は嘘(うそ)となり、釈迦は虚妄(こもう)の仏となるところだった。だから、大聖人は釈迦を守ったといえるのであり、大聖人の方が釈迦より勝れるのだ。そして、大聖人の<広宣流布><本門戒壇建立>の予言は、池田センセーが出現して正本堂を建てられなければ、虚妄となるところだった。だから、あまり大っぴらに言ってはいけないが、池田センセーは大聖人より上なのだ」

等々の指導が、再三にわたって口コミで流されていた。
こうした指導は、当時、じつに数多(あまた)の会員が耳にしており、これを真(ま)に受けた愚直な会員が、座談会の席上、手を挙げて
「日蓮大聖人のことは<大聖人>と呼ぶのに、どうして池田センセーのことは<大聖人>と呼ばないんでしょうか」
と真顔で質問し、担当幹部が返答に窮(きゅう)した、などという笑えない話もあったとか。
また、こうした「池田/勝(しょう)・大聖人/劣(れつ)」という池田本仏論の上から御書を読むから、『観心本尊抄』の
「当(まさ)に知るべし、此(こ)の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責(かいしゃく)し、摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す」(御書661頁)
との御文や、第二十六世日寛上人がこれを釈した『観心本尊抄文段(もんだん)』の、
「折伏に二義有り。一には法体(ほったい)の折伏。謂(い)わく『法華折伏、破権門理』の如し。蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏。謂わく、涅槃経(ねはんぎょう)に云わく『正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応(まさ)に刀剣(とうけん)弓箭(きゅうせん)鉾槊(むさく)を持すべし』等云云。仙予(せんよ)国王等是れなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍(なお)摂受と名づくるなり。或(あるい)は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか」(文段284頁)
との仰せも、
[地涌の四菩薩は、妙法の法体を建立する「法体の折伏」を行する時には聖僧・日蓮大聖人として現われ、建立された法体を広宣流布する「化儀の折伏」を行する時には在家の賢王・広宣流布の総大将たる池田センセーとして現われる。しかして、大聖人の「法体の折伏」は、賢王の「化儀の折伏」に対するときには摂受となってしまう、というのだから、池田センセーは大聖人より勝(まさ)る]
などという、とんでもない解釈になる。

■正本堂=本門戒壇で完成する池田本仏論
 この恐るべき邪義を根絶された日顕上人

いずれにせよ、こうした池田本仏論を完成させるための、欠くことのできない要素は「池田センセーが広宣流布を達成し、それを象徴(しょうちょう)する御遺命の本門戒壇を建立した」という事実である。これなくしては、池田本仏論は、実証が伴わない、単なる虚仮(こけ)の言葉となってしまう。
それ故、池田は何としても、正本堂を御遺命の本門戒壇であることにしようとして、正本堂が直(ただ)ちに御遺命の戒壇でないことが明確に決定された(昭和47年4月28日の日達上人訓諭)後も、どこまでも固執(こしゅう)し、
「本日、700年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」(昭和47年10月12日のメッセージ)
「実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の800万は、明確に終わった」(昭和48年12月29日・第2回御義口伝受講者大会での発言)
等々と述べ続けたのであった。
こうした、正本堂に対する池田の強烈な思い入れが、当時、宗門との間で様々な軋轢(あつれき)を生じ、また妙信講(現・顕正会)問題を引き起こした元凶であった。
しかし池田は、いかなる問題が起きようと、あくまでも自らの大慢を捨て去ることなく、昭和65年(平成2年)を「広宣流布の大総仕上げの年」と見立てて、この時に正本堂を御遺命の本門戒壇とすべく、最後の執念を燃やしたのである。
この池田の大慢心による野望は、現御法主・日顕上人猊下によって粉砕(ふんさい)された。池田の大慢心を看(み)て取られた日顕上人は、池田を宗外へ永久追放すると共に、池田創価学会がどこまでも(破門後までも)「本門事の戒壇なり」と固執する正本堂を、跡形(あとかた)もなく地上から撤去(てっきょ)なさったのである。
これによって、池田大作が長年抱き続けてきた大慢心……池田が本門戒壇を建立して、大聖人より勝れる仏の座に着く、という「池田/勝・大聖人/劣」の池田本仏論は、依るべき根拠を失い(むろん教義的にはもとより成立しえない邪義・迷妄なのだが)、千万に一つも実現する可能性はなくなってしまった。
だからこそ、正本堂解体の際には、何としても解体を阻止(そし)しようとする学会・公明党の妨害が凄(すさ)まじかったし、これを斥(しりぞ)け正本堂を解体したことで、日顕上人に対する憎悪・怨嫉(おんしつ)は極(きょく)に達した感がある。
だが、前述のような、正本堂に絡(から)んだ池田大作の恐るべき大慢心の正体を突き止め、究明するとき、正本堂を大石寺境内地から撒去しなくてはならないことは、日蓮大聖人の正系門流としての信心に照らして是非(ぜひ)もなかろう。
われわれ日蓮正宗僧俗は、奉安堂建立の時にあたって、このことをしっかりと肝に銘じ、日顕上人の御英断に感謝申し上げるべきであろう。

池田大作は浅識・大増上慢

これまで、池田大作の抱いてきた慢心の正体……「池田本仏論」の中味を検証し、それが、正本堂解体によって完全に崩壊したことを述べてきた。だが本来、池田本仏論なとどいう邪義は、本宗の教義に照らして存在しうる余地すらなかったのである。
ここに、池田本仏論の誤りを、教義上から破折しておくことにしよう。

■大聖人出世の本懐は大御本尊建立
 三大秘法は全て大御本尊に具わる

そもそも、仏が世に出現せられるのは、まったく偶発(ぐうはつ)的なものではなくて、一大事の因縁(いんねん)によるのである。「一大事の因縁」とは、『法華経方便品』に
「諸仏世尊は、衆生をして、仏知見(ぶっちけん)を開かしめ、清浄(しょうじょう)なることを得(え)せしめんと欲(ほっ)するが故に、世に出現したもう。(中略)舎利弗、是(こ)れを諸仏は唯(ただ)一大事の因縁を以(もっ)ての故に、世に出現したもうと為(な)づく。」(法華経102頁)
と説かれるように、一切衆生を成仏せしめよう、との大目的である。
これを、インド応誕(おうたん)の釈尊についていえば、釈尊出世(しゅっせ)の一大事因縁は、法華経を説いて在世の衆生を成仏へと導くことであった(これを出世の本懐ともいう)。
日蓮大聖人におかれては、『御義口伝』等に、一大事因縁とは事の一念三千・南無妙法蓮華経なり、と示され、さらに
「余は二十七年(にして出世の本懐を遂ぐる)なり」(御書1396頁)
と仰せられて、弘安2年10月12日、事の一念三千の当体たる本門戒壇の大御本尊を建立せられた。この大御本尊の建立こそ、大聖人出世の一大事因縁であり、出世の御本懐に他ならぬのである。
この本門戒壇の大御本尊は、末法万年にわたって一切衆生を成仏せしめる根源の法体(仏法の本体そのもの)であり、第二十六世日寛上人が
「三大秘法を合する則(とき)んば但(ただ)一大秘法の本門の本尊と成るなり、故に本門戒壇の本尊を亦(また)三大秘法総在の本尊と名づくるなり」(聖典863頁)
と仰せのごとく、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目という三大秘法の全てを具(そな)えて、欠けるところのない大御本尊である。

■大聖人は末法に再び出世されない
「大聖人再誕」論は最大の冒涜(ぼうとく)だ

さて、こうした筋道の上から拝(はい)すれば、御本仏日蓮大聖人は、末法の世に出世あそばされた大目的(一大事因縁・出世の御本懐)を三大秘法総在の大御本尊として、余すところなく成就(じょうじゅ)され、御入滅(ごにゅうめつ)なさったのであるから、この地球上の末法時代には、二度と再び出世あそぱされないのである。
ゆえに、『法華経方便品』には
「諸仏世に興出(こうしゅつ)したもうこと懸遠(けんのん)にして値遇(ちぐ)すること難(かた)し」(法華経125頁)
と説かれ、日顕上人猊下は、
「末法万年の間に、御本仏日蓮大聖人様が再び人間の形をとられてお生まれになるということは、二度と再びないのであります。そのかわりに大聖人様は、本門戒壇の大御本尊様として末法万年の闇を照らされるわけでございます。そこのところは、はっきりしなくてはいけません」
と仰せられている。
したがって、他の人師・論師や大衆であればいざしらす、御本仏に限っては、いったん出世の本懐を遂げられれば同じ時代に再び出世されることはありえない……この道理に違背(いはい)して、もし、大聖人が再び末法に出世あそばされるというならぱ、大聖人は700年前、出世の本懐を遂げられずに、説き残しをされたまま御入滅された仏、ということになってしまう。御本仏に対する冒涜(ぼうとく)、これに過ぐるものはない。

■池田大作は提婆達多と同類の魔仏
 三秘総在(さんぴそうざい)を解せぬ浅識と増上慢

以上のことから、像法時代の論師である天台が伝教として再誕(さいたん)することはあっても、御本仏・日蓮大聖人が地球上の末法時代に再誕することはありえない。しかるに池田大作は、あろうことか、自らを大聖人の再誕と思いこみ、また、周囲にもそう見せようと振る舞ったのである。
これは、まさに、自ら釈尊より勝(すぐ)れるとの慢心を起こし、眉間(みけん)に偽の白毫相(びゃくごうそう)を張り付けて仏になりすまそうとした、かの提婆達多(だいばだった)と同類の魔仏(魔が仏のふりをしていること)というべきであろう。
また、「大聖人が顕わされたのは本門の本尊と題目のみで、残された本門の戒壇を後世の池田が建立することによって、はじめて三大秘法が完結する」との池田の考えも、本門戒壇の大御本尊の当体にすでに三大秘法の全てが具わっている、との「三大秘法総在」の深義(じんぎ)が理解できていないための浅識(せんしき)である。
なるほど、大聖人は『三大秘法抄』及び『一期弘法抄』に、将来、広宣流布を果たすべきことと、その広布達成を象徴する、全世界の信仰の中心道場としての本門寺戒壇を建立すべきことを、門下一同に御遺命せられている。
しかし、それは、あくまでも大聖人が建立せられた根源の法体(三大秘法総在の大御本尊。そこには、もとより本門の戒壇も具わっている)を弘め、敷衍(ふえん)していく目標であって、それによって三大秘法が完結する、などというわけではない。三大秘法は、大聖人が大御本尊を建立せられた時点で、すでに成就しているのである。
したがって、また、未来の弟子檀那(だんな)が、広宣流布を達成し本門寺戒壇を建立したとしても、それは本師が成就し確立された法を、弟子の立場で弘めたにすぎないのだから、『報恩抄』等に挙(あ)げられた天台・伝教の例とは異なり、弟子分にある者が大聖人と肩を並べたり、大聖人を超越することなど、まったくできえない。
それを、「我は大聖人より勝れたり」と傲(おご)り昂(たかぶ)った池田大作は、まさに劣れる凡夫が自ら聖人より勝れると思いこんだ、堕地獄必定(ひつじょう)の大増上慢である。

■「折伏を現ずる賢王」の文意を拝す
 池田が賢王でない、これだけの理由

最後に、『御心本尊抄』の
「此(こ)の四菩薩、折伏を現する時は賢王となって…」(御書661頁)
の御文であるが、これとて、総体の地涌(地涌の四菩薩の総ての徳性を御一身に具える上行菩薩)たる御本仏日蓮大聖人が、再び在家の賢王として出現する、などという意味ではない。
すでに、御本仏日蓮大聖人が再び末法地球上に出世されることはありえない、との道理は示したとおりである。では、この御文の意は、といえば、大聖人が諸御抄に
「日蓮が道をたすけんと、上行菩薩貴辺(※四条金吾)の御身に入りかはらせ給へるか」(御書1161頁)
「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩はうまれかわり給ひてや日蓮を御とぶらひ給ふか。不思議なり不思議なり」(御書793頁)
「日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり。(中略)上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か」(御書1393頁)
等と仰せのように、地涌の四菩薩の用(はたら)きを分々になす人々が現われ、大聖人の仏法を護り弘めていく……すなわち別体の地涌の一つの姿として、『本尊抄』では、在家賢王の折伏を示されたものと拝するのである。
また、この御文について、第二十六世日寛上人は
「或(あるい)は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか」(文段284頁)
と釈せられ、この賢王出現の時を「順縁広布の時」……すなわち、時いたって三大秘法が国中に広宣流布する、その時のこととせられている。
それは、おそらくは『三大秘法抄』に、広宣流布の暁(あかつき)の相として、
「有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくぴく)の其(そ)の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時」(御書1559頁)
との御金言があることから、広布の暁には、命がけで覚徳比丘を護った有徳王のごとき強信の賢王が出現される、との意によって述べられたものであろう。されば、この在家の賢王は、正法護持(ごじ)の僧を護って、命がけで謗法者と闘う、護法の士であらねばならない。
間違っても、「創価学会こそが現代における僧宝」などと言って、自らが僧に成り替わろうとしたり、護るべき僧を攻撃・弾圧したりするような者が、賢王であろうはずがないのである。
また、順縁広布の時の賢王は、仏法上からは転輪聖王(てんりんじょうおう)の出現といわれるが、公(おおやけ)のスピーチの席で、
「お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れる」(平成5年1月27日)
「ハワイ!(中略)マハロー! バカヤロー! バッハロー!」(平成5年1月27日)
「もっといいのは、キンマン、いやキン○○コだよ!」(平成5年7月7日・第66回本部幹部会)
等々の言葉を垂(た)れ流す、池田大作のような愚劣で下卑(げび)た男が、転輪聖王などである訳がない。
こうした池田の実態を、我が目と耳で見聞きしていながら、まだ、池田を大聖人の再誕と崇(あが)め、池田が転輪聖王であることを証明しようとしているような創価学会員は、すでに魔に魅(み)いっせんだい)人と成り果てた、というべきであろう。

<『慧妙』平成13年11月1、16日付、12月1日付より転載>

法主本仏論などどこにも存在しない

以上、検証のとおり、創価学会は「池田大作本仏論」なる大謗法にまみれ、日蓮大聖人の仏法とはかけ離れた、完全なる邪教と化しています。
その創価学会が、日蓮正宗に対してしつこく繰り返している難癖(なんくせ)に、
「宗門は<法主本仏論><法主絶対論>である」
という、ワケの分からないものがあります。そして御宗門は宗教的権威を振りかざし、横暴の限りをつくす悪の権化(ごんげ)……なのだそうです。
いったいそれは、どこの世界の、何という組織の話なのか、教えてほしいのです。少なくとも日蓮正宗には、そんなものは微塵(みじん)もありません。
学会の言う「法主本仏論」「法主絶対論」などというようなものも、日蓮正宗には存在しません。学会が勝手に「あるある」と言ってるだけのことで、こちらからすると何の話やらさっぱり、なのです。いったい、誰がこんなことを言い始めたのでしょうか。
ちなみに、戸田城聖氏と池田大作が過去にこのような指導をしています。
「新猊下を大聖人様としておつかえ申上げ云々」(『聖教新聞』昭和31年1月29日付 戸田城聖氏・信者の大精神に立て)
「遣使還告(けんしげんごう)であられる御法主(ごほっす)上人猊下は、日蓮大聖人様であります」(会長講演集10-43頁)
我が日蓮正宗においては、宗祖以来の唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈相承を受けられた御法主上人猊下に対して、その御内証(ごないしょう)を大聖人様と拝して尊崇申し上げます。これは信仰上、当たり前のことです。
しかしそれは、御内証の辺においてであり、外用(げゆう)において大聖人様と御法主上人猊下を同一視するものではありません。
学会が難癖を付ける「法主本仏論」というのは、この内証と外用の立て分けを混乱させたものであり、日蓮正宗僧俗が御法主上人猊下の御内証を大聖人様と拝して尊崇申し上げるのとは、まったく別のものです。
私たちは、御法主上人猊下の尊い御内証に信伏随従(しんぷくずいじゅう)するのであります。これは第二祖日興上人以来、御先師日達上人までのすべての御歴代上人にあっても、御当代日顕上人にあっても、そしてまた、いずれ御登座されるであろう第68世御法主上人とそれ以降の猊下にあっても、我々の尊崇は変わることなく続いていきます。
学会ごときがどんなに騒ごうが、日蓮正宗の令法久住(りょうぼうくじゅう)は、いかなることがあろうと揺らぎません。
それに対して、創価学会はどうなのでしょうか。
池田大作も、あと何十年も生きられるわけではありません。生身の人間ですから、近いうちにこの世を去ることでしょう。そうなったとき、創価学会と学会員は、何を頼りに信仰を続けるのでしょうか。
跡継ぎの池田の息子でしょうか?
学会員は、北朝鮮よろしく世襲を認めるのですか?
独自の教義と本尊がなくとも、日蓮正宗の御本尊を偽造したニセ本尊があればそれでこれからも安泰なのですか? それとも、新しい大御本尊様でも作るのでしょうか。

創価学会は、日蓮正宗から派生した、根無し草の異流儀団体・新興宗教団体でしかありません。異流儀は、しょせんは消えてなくなるか分裂して霧散するか、どちらにしても永く続くことはありません。
一日も早く信仰の寸心を改め、正しい日蓮大聖人の仏法に帰りましょう。学会の悪宣伝に惑わされてはいけません。

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