天台宗の誤りを破す

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既成仏教 天台宗

【高祖】天台大師
【宗祖】伝教大師(最澄)
【本尊】特に一尊一仏に限定せず、久遠実成無作(くおんじつじょうむさ)の本仏とする。
(日本宗教総覧2001年版)
【経典】『法華経』を根本経典とし、その他の密教経典・大乗経典
【総本山】比叡山延暦寺

※天台宗は他に、園城寺を総本山とする「天台寺門宗」、また西教寺を総本山とする「天台真盛宗」等がありますが、ここでは代表として、比叡山延暦寺を総本山とする「天台宗」を扱います。

宗派の沿革

日本天台宗は、中国の天台大師の教えを基とし、伝教大師(最澄)によって開かれた宗派で、比叡山延暦寺を総本山としています。

■中国の天台宗

中国天台宗は、陳・隋(ずい)の時代、天台大師によって創設されました。
天台大師は18歳で出家し、23歳の時に南岳慧思(なんがくえし)に師事し、修行の末、法華経の極理を悟りました。
その後、都の仏教界の姿に疑問を抱いた天台大師は、38歳の時に天台山に入り修行の日々を送りました。この時期に「円頓止観(えんどんしかん)」を悟り、法華経の教理とその修行法を「教観二門(教相門と観心門)」として大成しました。
天台山を下りた天台大師は、『法華文句(ほっけもんぐ)』『法華玄義(ほっけげんぎ)』『摩訶止観(まかしかん)』を講義して、法華経の教観二門を宣揚(せんよう)し、隋の王より智者大師の号を賜(たまわ)りました。
これらの講説は、後に弟子の章安大師(しょうあんだいし)によって筆録され、「天台三大部(法華三大部)」といわれています。
天台大師は、釈尊(お釈迦様)一代の教説を「五時八教(ごじはっきょう)」の教判によって判釈し、「法華経こそ唯一真実・最勝の経典である」とし、法華経の教理に基づく「一念三千の法門」を説き、『摩訶止観』に説かれる観法(かんぽう)によって悟りに至ると説きました。
当時の中国仏教界は、南三北七(なんさんほくしち)という10師の諸説が優劣を競っていましたが、天台大師の教えによってその争いも終わりました。
天台大師の入寂(死去)後、唐の時代に中国の仏教界は法相宗(ほっそうしゅう)・華厳宗(けごんしゅう)・密教などが盛んになり、天台は衰退していきました。それを復興したのが六祖・妙楽大師(みょうらくだいし)であり、天台宗と名乗るようになったのも、この妙楽の時代です。

■伝教大師最澄

日本天台宗の宗祖である伝教大師(最澄)は、19歳で奈良の東大寺で具足戒(ぐそくかい=小乗教の二百五十戒)を受け、国家公認の近江国分寺の僧侶となりました。
その後、比叡山に入山し、延暦寺の前身となる比叡山寺の伽藍(がらん)等を建立した最澄は、次第に天台大師の「法華一乗思想」に傾倒し、確信を深めていきました。
延暦21年(802年)、桓武(かんむ)天皇の勅命(ちょくめい)を受けた最澄は、南都六宗(なんとろくしゅう)の高僧に対して、天台の三大部を講じて法華一乗思想を宣揚しました。
これに対して南都六宗側は反論できず、最澄の講説を讃(たた)える書状を桓武天皇に提出しました。これによって南都諸宗との対立が始まりましたが、これ以後、最澄に対する桓武天皇の信頼はさらに深まり、崩御(ほうぎょ=天皇の死去)まで絶大な庇護(ひご)を受けるようになりました。
そして延暦23年(804年)、最澄38歳の時、桓武天皇の勅許(ちょっきょ)を得て、遣唐使に加わって中国に渡りました。最澄は天台山に上り、六祖・妙楽大師の高弟である道邃(どうずい)・行満(ぎょうまん)等より天台学・大乗戒の法門を学び、8ヶ月に渡る中国滞在を終えて帰国しました。
延暦25年(806年)には、朝廷より天台宗として正式に認められました。しかしこの直後、最澄を庇護してきた桓武天皇が死去し、最澄にとっては苦難の時代を迎えることとなりました。しかし最澄は、さらなる天台教学の研鑽に努めると同時に、密教への理解も深めようとし、中国から本格的に密教を持ち帰った空海とも、親交を結んでいきました。
最澄が、生涯をかけて取り組んだのは「大乗戒壇(だいじょうかいだん)建立」です。これまでは東大寺等の小乗戒壇の受戒でしたが、これは天台の教義に沿うものではなかったからです。
そこで最澄は、法華一乗思想に基づく圓頓戒壇(えんどんかいだん=大乗戒壇)を比叡山に建立しようとしましたが、南都諸宗の反対にあい、これを生前中に達成することはできませんでした。しかし最澄の没後の7日後に勅許が下り、悲願の大乗戒壇建立が成ったのです。
最澄は天台大師の法門を受け継ぎ、法華一実の教えを説いて南都諸宗を打ち破り、大乗仏教を発展させ、日本仏教界に大きな功績を残したのでした。

■最澄没後の天台宗

最澄の没後、天台宗は真言宗に圧倒され勢いを失いました。その復興に取り組んだのが慈覚(円仁)・智証(円珍)・安然(あんねん)です。
この3人によって天台宗の密教化が進み、以後、比叡山には密教が深く根付くことになり、密教を優先して、法華一乗の宗派ではなくなりました。この天台宗の密教は「台密(たいみつ)」と呼ばれ、真言宗の「東密(とうみつ)」と区別されています。
その後、三代・慈覚門徒(山門派)と五代・智証門徒(寺門派)の対立が生じ、天台宗は大きく二分され、さらに多くの分派・分流が発生していきました。
それらは、比叡山を総本山とする「天台宗」と、園城寺を総本山とする「天台寺門宗」、また西教寺を総本山とする「天台真盛(しんせい)宗」の他、修験道(しゅげんどう)関係宗派など、多くの宗教団体を形成して現在に至っています。

教義の概要

■本尊

『日本宗教総覧2001年版』によれば、「特に一尊一仏に限定せず、久遠実成無作(くおんじつじょうむさ)の本仏とする」となっています。しかし、延暦寺内だけでも「薬師如来」「大日如来」「釈迦如来」「阿弥陀如来」等が祀(まつ)られており、何が本尊でも良いようです。
ちなみに天台寺門宗では「本尊に関しては、久遠無作の本仏が本体であり、諸尊諸仏はことごとくその応現(おうげん)であるから、等しく尊信する」としており、天台真盛宗では「阿弥陀三尊(あみださんぞん)」としているなど、いろいろです。

■所依(しょえ)の経典等

(1)法華三部経……『法華経』『無量義経』『普賢経』
(2)天台三大部……『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』
(3)浄土三部経……『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』
(4)その他……『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』等

■天台大師の教義

【教観二門】
「教相門」とは、経論の解釈や研究を中心とした教理・理論面です。
天台大師は、釈尊(お釈迦様)一代の教説を「五時八教(ごじはっきょう)」の教判によって判釈し、「法華経こそ純円一実、唯一真実・最勝の経典である」としました。 また「観心門」とは、教相門で明らかとなった教理(悟り)を体得するための修行そのものや諸規定を示したもので、主に『摩訶止観(まかしかん)』に明かされています。
【一念三千法門】
『摩訶止観』に説かれる法門で、一瞬一瞬の心に、あらゆる諸法が具わっていることを示したものです。三千とは、「三千世間」あるいは「三千如是」といわれる一切の諸法です。
【円頓止観(えんどんしかん)】
「止観」とは、教理を体得する修行法のことです。『摩訶止観』には、修行者の能力に応じて「漸次(ざんじ)」「不定(ふじょう)」「円頓(えんどん)」の3種の止観が説かれていますが、天台大師の主とするところは円頓止観です。
この円頓止観(一心三観=いっしんさんがん)によって、一念三千の法理を悟るものです。

■伝教大師最澄の教義

最澄は天台大師の教義に基づき、法華円教(ほっけえんぎょう)による一乗思想を打ち立てました。
さらに、当時中国で盛んだった「密教」、悟りを得る方法である「禅(天台でいう止観)」、「梵網菩薩戒(ぼんもうぼさつかい)」を基(もと)とした大乗戒の3つを、法華円教の教えに基づいて総合的に統一し、融合させる「四宗融合思想」を立てました。

■慈覚(円仁)の台密

慈覚は「顕密二教判(けんみつにきょうはん)」を立て、『法華経』も理において『大日経』等と同じく密教であるとしました。しかし『大日経』等は理・事ともに密教であり、両者を比較すれば「理同事別」であるとしました。
そしてこの顕密二教判によって、事相の上で「真言密教が勝る(理同事勝)」としたのです。

■智証(円珍)の台密

智証は、慈覚の顕密二教判に、さらに独自の「五時教判」を唱え、『大日経』は『法華経』よりもはるかに優れた教えであるという「円劣密勝(えんれつみっしょう)」を主張しました。

■安然(あんねん)の台密

安然は、蔵教(ぞうきょう)・通教(つうぎょう)・別教(べっきょう)・円教(えんぎょう)という、天台大師が釈尊一代の説法を教理内容の上から分類した「化法(けほう)の四教」の上に「密教」を置きました。
これによって、真言密教は『法華経』よりも勝れていると主張しました。

邪宗教である理由

■「正像末の三時」を知ること

釈尊は、自らの入滅後における仏法の流布(るふ)すべき「時」を大別し、『大集経(だいしっきょう)』等の経典において、「正法(しょうぼう)」「像法(ぞうぼう)」「末法(まっぽう)」という三つの時代があると説かれています。
(1)正法時代
正法時代とは、釈尊入滅後、第一の五百年「解脱堅固(げだつけんご)」と、第二の五百年「禅定堅固(ぜんじょうけんご)」を合わせた1000年間を指します。
この時代は、釈尊の「教(教法)」「行(修行)」「証(悟り)」が正しく具(そな)わっており、釈尊の教法(きょうぼう)によって証果(しょうか)を得ることができた時代です。
(2)像法時代
像法時代とは、先の正法時代の1000年間の次の、第三の五百年「読誦多聞堅固(どくじゅたもんけんご)」と、第四の五百年「多造塔寺堅固(たぞうとうじけんご)」を合わせた1000年間をいいます。
この時代は、仏法による証果は得られず、形だけが正法に像(似)た時代となるため、像法時代といいます。
第三の読誦多聞堅固の時代には、中国に経典が伝えられる中で、多くの僧によって漢訳や講説がなされ、さらに教義の研鑽などが行われました。また第四の多造塔寺堅固の時代には、多くの寺塔や仏像が建立され、形の上で仏法流布の姿がありました。
日本に仏教が伝わり、奈良や京都に多くの寺塔が建立されたのも、まさにこの多造塔寺堅固の時代です。
(3)末法時代
末法時代とは、釈尊の仏法の力がなくなり、人心が悪化し、世相の混乱によって争いが絶えない「末世法滅(まっせほうめつ)の時代」です。この末法の時代は、像法時代までのような500年区切りではなく、「末法万年(まっぽうばんねん)」とされ、以後ずっとこの時代になります。
この時代は、釈尊仏法に結縁(けちえん)のない、機根(きこん)の下劣な衆生ばかりとなり、思想が混乱し、世の中がすさんで争いごとの絶えない「闘諍言訟(とうじょうごんしょう)」時代であり、釈尊仏法(白法)の効力がことごとく滅尽(めつじん)してしまう「白法隠没(びゃくほうおんもつ)」の時代であると、経文に予証されています。
しかし釈尊は、『法華経』の神力品(じんりきほん)において、この末法時代における法華経の要法(ようぼう)弘通(ぐづう)を、上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)に託しました。そして『法華経』の薬王品(やくおうほん)において、
「我が滅度の後、後(のち)の五百歳(註:末法時代のこと)の中に、閻浮堤(えんぶだい)に広宣流布(こうせんるふ)して、断絶せしむること無けん」 と予証されたのです。
先述の、上行菩薩に託された「法華経の要法」とは、白法隠没する釈尊の法華経(白法)ではなく、そのさらに一重(いちじゅう)奥に秘されるところの肝要の法(大白法)であり、それでなければ末法の衆生を利益(りやく)することはできないのです。
実際、天台大師は『法華文句(ほっけもんぐ)』に、
「後五百歳(註;末法)、遠く妙道(みょうどう)に沾(うるお)わん」
と述べ、妙楽大師は『法華文句記』に、
「末法の初め冥利(みょうり)なきにあらず、且(しばら)く大教の流行(るぎょう)すべき時に拠(よ)る」
と述べ、さらに伝教大師は『守護国界章(しゅごこっかいしょう)』に、
「正像稍(やや)過ぎ已(おわ)って、末法太(はなは)だ近きに有り、法華一乗の機、今 正(まさ)しく是(こ)れ其(そ)の時なり」
と述べられ、いずれも、末法に法華経の要法が弘まり、衆生を利益することを明かされているとおりなのです。

以上、「正像末の三時」について概略を記しました。
天台大師、伝教大師の時代は、上記の<像法時代>に該当します。
天台大師は、釈尊仏教の中で最勝深秘(さいしょうじんぴ)の教えである『法華経』をもって人々を救済し、伝教大師も天台の教えをもとに法華経を宣揚し、人々に利益(りやく)を与えました。しかしそれはあくまでも<像法時代>のことであり、末法の時代に至っては、天台や伝教の教えでは力が及ばないのです。
日蓮大聖人が『観心本尊得意抄』に、
「設(たと)い天台・伝教の如(ごと)く法のまゝありとも、今末法に至っては去年(こぞ)の暦(こよみ)の如し」
と御教示のとおり、去年のカレンダーを使って今年の生活はできません。それどころか日常生活に混乱と支障をきたします。末法の時代に天台・伝教両大師の教えどおりに修行しても、何の利益もないのです。
日蓮大聖人は『上野殿御返事』に、
「今、末法に入(い)りぬれば余経(註;方便の経教)も法華経もせんなし。但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし」
とお示しであり、末法の時代は、「法華経の要法」である日蓮大聖人の仏法によらなければ成仏の道はないのです。

■天台の修行は、末法には不可能

天台大師の説かれた修行は、本已有善(ほんいうぜん)といって、過去世(前世すべて)に成仏のもとになる仏種(ぶっしゅ)を下された衆生の修行法であって、釈尊仏法に結縁(けちえん)のない、本未有善(ほんみうぜん=未だ仏種を下されたことのない)の末法の衆生には不可能な修行法です。
それに対し日蓮大聖人の教えは、その仏種を直ちに末法の衆生に下し、即身成仏の大利益を与える「大白法」なのです。

■密教に堕落した天台宗

天台宗は伝教大師の滅後、慈覚・智証・安然の時代に密教を取り入れ、法華円教(ほっけえんぎょう)のみを弘めるべき本来の天台宗を汚(けが)してしまいました。
『法華経』の法師品(ほっしほん)に、
「我が所説の諸経 而(しか)も此(こ)の経の中に於いて 法華最も第一なり」
と説かれるとおり、法華経こそが最も勝れた教えであるにもかかわらず、教主・釈尊に違背(いはい)し、師である天台・伝教両大師の教えに敵対し、『大日経』が最も勝れているなどと、とんでもない大謗法(だいほうぼう)を犯しているのです。
しかも密教導入後は、教義も本尊も雑多となり、阿弥陀信仰や修験道(しゅげんどう)まで取り入れ、雑乱(ぞうらん)はなはだしい状況です。像法時代の教えであるゆえに無益(むやく)である(註;これを「天台過時」といいます)ばかりではなく、とても危険な邪宗教へと変質しているのが今の天台宗なのです。

以上、天台宗について、その邪たる所以を述べました。現在の天台宗は、像法時代の天台大師・伝教大師の大きな功績とはかけ離れた、まったく異質の邪宗教に他なりません。
『涅槃経(ねはんぎょう)』には、
「邪宗の僧侶や幹部は、いかにも聖人君子のごとき人格者を装い、わずかばかりの経典を読んだりしていても、常に内心は信者から布施や寄付をしぼり取り、自分の身を長く養うことばかり考えている。袈裟(けさ)を着ているといっても、それはまるで、猟師が狙った獲物を細目でにらみながら忍び寄っていくごとく、また猫がねずみに跳びかかろうと身構えているごとく、少しでも多額の布施・寄付を搾取(さくしゅ)しようと、信者を狙っているのである」
という趣旨の経文があります。皆さま方におかれましては、間違ってもこのような邪法邪師の邪義に惑わされることなきよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。

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