天照皇大神宮教の誤りを破す

HOME
新興宗教 天照皇大神宮教

【創立】昭和20年8月
【創始者】北村サヨ(大神様)
【後継者】姫神様・北村清和
【信仰の対象】天照皇大神宮
【教典】『生書』

教団の沿革

「踊る宗教」として有名な天照皇大神宮教(てんしょうこうだいじんぐうきょう)は、農家の主婦が突如として神がかって「神の言葉」なるものを語りだしたことに始まりました。
明治33年に山口県に生まれたサヨは、大正9年、20歳の時に北村清之助と結婚しました。
昭和17年、北村家の放火消失事件があり、それについてサヨが祈祷師にたずねたところ、「丑(うし)の刻参りと水行をせよ」と言われました。
それにしたがって行を続けていたところ、サヨは昭和19年に「自分以外の何者かが、肚(はら)の中でものを言い出した」などと言い出しました。
さらに翌20年には、宇宙の絶対神とする「天照皇大神の降臨を自覚した」として、自分のことを「皇大神という男神と、天照大神という女神を一体にして肚の中に納めている<天照皇大神宮>である」と宣言し、自身を「大神様(おおかみさま)」と称するようになりました。ちなみに「宮」とは、サヨの肚の中ということだそうです。
サヨは、無我の境地で自由に手足を動かす「無我の舞」を踊り、「歌説法」をするなかで、自らを磨かない人間を「蛆(うじむし)の乞食」と叫び、「蛆の乞食よ、目を覚ませ」などと訴えて、信者(同志)たちに無我の舞をさせました。これが、世間から「踊る宗教」と呼ばれた所以(ゆえん)です。
昭和21年には「肚の中の神からのお告げ」なるものによって法人設立を決め、翌年1月に宗教法人「天照皇大神宮教」を設立しました。教団では昭和21年を「神の国の紀元元年」と勝手に決め、独自の年号を使用するようになりました。また、徹底して既成宗教を批判し、在家教団を前面に打ち出しています。
活動としては、昭和39年に竣工された本部道場で、2と6を除く毎日2回、教祖サヨの語ったテープを信徒に聴かせ、修練および布教活動の指針としています。
昭和43年、サヨは孫娘の清和(姫神様)を後継者に定め、死去しました。

教義の概要

■教典と信仰の対象

教祖サヨの言行録である『生書(せいしょ)』というものがあり、これのなかで儀礼化した既成宗教のあり方や、戦後の風潮を批判しています。さらに、組織的にまとめられた『神教』というものもあり、この2書が一応、教義のようです。
また拝む対象としては、天照皇大神を「最高の神」として、その札(ふだ)のみとし、他の一切の神仏は否定しています。

■神の国の建設

教祖サヨは、独特の時代区分を述べ「人の世から神の世の転換にあたり、大神様の出現によって神の子となることができる(趣意)」と言い、これを受けて教団では「今はまさに神の世である」とし、神の国の建設を訴えています。
また教団では「現世は霊界との因縁によって結ばれている」などと言い、この世で多くの利己闘争が起きる原因は「宇宙が悪霊で充満しているから」だと主張しています。そこで、現世の乱れをなくすためには霊界の掃除、すなわち「悪霊を済度(さいど)」しなくてはならないのだそうです。
そして人間は、それぞれの因縁(いんねん)によって悪霊に取り憑(つ)かれているなどとし、煩悩(ぼんのう)・苦悩の原因である悪霊を断ち切れば苦悩から脱せられると言っています。

■「六魂清浄」と「名妙法連結経」

教団では、神のところに行くためには「神行(しんこう)」が必要であるとし、「六魂清浄(ろっこんしょうじょう)」を説いています。教団の言う六魂とは「惜しい」「欲しい」「憎い」「かわいい」「好いた」「好かれた」であり、これらを罪の根元であるなどと主張しています。
この六魂を清浄するために「名妙法連結経(なみょうほうれんけっきょう)」と唱え、反省することが「神行」で、これによって神に気に入られ、住み良い神の世界が与えられるなどとしています。
この「名妙法連結経」は、教祖サヨの肚の神からのお告げによって決められた、ということで教団の題目となっています。教団では、これを一心に唱えれば自然と無我になり、手足も自由に動き、歌も歌うようになって、霊界とも通じ合うことができ、学ばなくても悟ることができるなどと主張しています。
この無我の境地になって踊る「無我の舞」によって、一切が救われるというのがこの教団の教えです。

■先祖供養は不要

教団では天照皇大神以外の、一切の神仏を否定し、特に形骸化した既成宗教を金儲け主義であるとして厳しく非難しています。
その金儲け主義の要因は「墓」であると主張し、教祖サヨ自身が「墓を建てないように」などと遺言しています。さらに、先祖供養や死者に対する儀礼も不必要であるなどとしています。

邪宗教である理由

■神がかりは精神分裂と同じ

大本や金光教、天理教などの項でも書きましたが、新興宗教に多く見られる「神がかり信仰」の、「神がかり」というのは何なのでしょうか。
精神医学では、この神がかりというものを「憑依妄想(ひょういもうそう)」と呼び、人間の主体性が失われて起こる「精神分裂病の一種」としています。
もし皆さんの家族がこのような状態になって「私は神のお告げを受けた」などと口走ったら、どう思いますか? 普通は「早く病院に連れて行かなきゃ」と大騒ぎになるでしょう。「神のお告げを受けたとは、何と素晴らしいことでしょう」などと信じる方がどうかしているわけです。
「皇大神という男神と、天照大神という女神を一体(天照皇大神)にして肚の中に納めている」などというのは、何一つ証明のなされない、妄想の産物以外の何者でもありません。
このような精神錯乱・精神分裂の妄想が出発点となっている宗教など、まともに信ずるに値(あたい)しませんし、誰もこれで救われることなどありません。
そもそもこの神は、教祖・北村サヨ誕生以前は人類救済の働きをしてなかったことになります。ずいぶん怠慢(たいまん)な神様なようです。

■「悪霊」だの何だの

教団では、この世の利己闘争の原因は「宇宙が悪霊で充満しているから」だと主張し、さらに人間は「悪霊に取り憑(つ)かれている」などとし、その悪霊が煩悩・苦悩の原因であるなどとしています。
悪霊だの何だの、まるでオカルトそのものです。世間の人々の、迷信的で漠然とした生命観・生死観につけ込んで惑わす、幼稚な妄説でしかありません。
他の項でも書いたことですが、物事にはすべからく「原因」があって「結果」が生じます。人々の不幸の原因は、それぞれの人が内奥(ないおう)に抱えているものであり、「悪霊が人間に取り憑いて苦悩の原因になっている」などというのは、まったく因果をわきまえない不条理そのものです。
自身を見つめることなく、この世や個人の不幸の原因を何でもかんでも悪霊の仕業(しわざ)にしてしまうのは、実に低劣で幼稚としか言えません。

■「六魂清浄」?

教団では「六魂清浄」なる珍説を掲げています。これは仏教で説く「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」を勝手にもじっただけのものです。
本来の「六根清浄」とは、
(1)眼根(げんこん)の功徳・・・すべての事象が明らかに見え、物事の因果を正確に知ることができる。
(2)耳根(にこん)の功徳・・・あらゆる音声から、実・不実を聞き分けることができる。
(3)鼻根(びこん)の功徳・・・あらゆる臭いを嗅(か)ぎ分け、分別(ふんべつ)を誤ることがなくなる。
(4)舌根(ぜつこん)の功徳・・・優れた味覚を持ち、さらにその声は深妙(じんみょう)となり、聞く者を喜ばせることができる。
(5)身根(しんこん)の功徳・・・穏やかで健全な身体となり、外界の刺激に適合させ、自身を処することができる。
(6)意根(いこん)の功徳・・・心は清らかに、頭脳は明晰(めいせき)となり、智慧(ちえ)が深くなる。
ということであり、教団が言うような低級なものとは全然違います。「六魂清浄」のような盗作教義には何の意味もありません。まったく取るに足らない「大神様」です。

■「名妙法連結経」???

この「名妙法連結経」も六魂清浄と同じく、「南無妙法蓮華経」をデタラメにもじって勝手につくった造語でしかありません。教祖サヨは、
「なという字は人の名を書け、みょうという字は女編に少しと書け、(中略)天から法の連結をとって結するお経ができるのじゃ」
などという肚の神からのお告げがあったなどとしていますが、馬鹿馬鹿しくて語る言葉がありません。さらにサヨは「南無妙法蓮華経」について、
「南無とは帰命(きみょう=自分の命を仏に奉るという意味)ではなく、南が無いという意味で、日本軍の南方侵攻が失敗し、南を失ってしまった時」
などと、愚にもつかないことを言っています。
もう、教祖はふざけているとしか思えません。これが本当に教義と呼べるものなのでしょうか。論ずる価値すらありません。
私はこのページを制作したことを後悔しています。意味がなかったと。

以上、ごく簡単ではありますが、天照皇大神宮教の教義についてその邪宗教である理由を述べました。皆さま方におかれましては、このような邪法邪師の邪義に惑わされることがありませんよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。

このページのトップへ
正しい宗教と信仰

第一章・創価学会第二章・顕正会第三章・新興宗教
第四章・既成仏教第五章・民間信仰第六章・神様信仰
関連リンクこのサイトについてサイトマップ